オペラ リゴレット  (2000/07/07)
 

初台の新国立劇場で久しぶりにオペラを鑑賞した。私のオペラ史は2年半前のミラノ スカラ座の マクベスから始まって、アイーダ、魔笛、カルメンと重ねて今回はリゴレット。
オペラが趣味というほど見ていないが、オペラシティでの演目の少なさと前売り当日に 売切れてしまうほどの人気ぶりと寂しい懐具合を差し引けば、半年に一回のペースは、ほどほどに いい調子だろう。

で、今回のリゴレットだが今までのオペラの感激に比べ違う感想を抱いた。
まず歌声が心に染み込んでこなかった。たしかにソプラノもテノールもいい声出しているが 感情が滲み出ていなかった。確かに音符どおり、指揮棒どおりだったが、何かが足りない。 歌い手の個性というか、感性というか、行間というか、なぜこの場面でこの歌なのかの意味、 なんと言えばいいのだろう。

自宅でリゴレットのCDを聞きなおし、情景を思い浮かべると劇場の声ではなく、CDの歌声の 印象が強く出てくる。目を閉じれば舞台装置、照明、オーケストラまではっきりと 再現できるのに歌声だけがCDのままだ。おそらくここに一流と普通の差があるのだろう。
一流とそれ以外を分ける深い河。欧米人と日本人の骨格からくる声の性質の問題なのか。
少し残念だった。

しかし、それ以外はすばらしい。オペラが縦の音楽であることを実感させる劇場の構造も さることながら、舞台セットの手の入れようは感嘆に値する。照明も驚きを隠さない。雷鳴轟く 舞台は本当の嵐かと錯覚させてくれる。まさにブラボーだった。
ただオペラの醍醐味はソプラノ。総合舞台芸術の本筋が弱いと寂しさが残る。今回その思いを 改めて実感してしまった。(一部例外あり・カルメンはメゾソプラノ、魔笛はソプラノは 主役じゃないなど)

また、オペラで気になるのはそのカーテンコールの長さだ。最高の舞台には惜しみない拍手が 当然であるが、そうでない場合は拍手の強要で興がさめる。観客も拍手をしたがっているが、 アイーダの初演のようなブーイングも時として欲しくなる。最高のものの見極めが できる目と耳を持ちたいものだ。

今回のリゴレットをワインにたとえるならドミニクローランの村名クラスといったところか。 このたとえかなりオタッキーかな。テロワールの個性を十二分に堪能させてくれるが ブルゴーニュ5大ドメーヌのような心突き刺す感動には及ばない。決して まずいといっているのではなく、すばらしいものをもうひとつ超えるものが足りたいということだ。 観客の立場だから言いたい放題になってきた。

隣の席の新婚さんと旦那の母親の3人組みは大いに楽しんでいるようだった。初めてのオペラらしく 服装も態度もなってなかったが、オペラの魅力に取り付かれて帰ったようだ。
私もはじめてのオペラはああだったのだろう。映画でもなく、ライブハウスでもなく、小劇場の 芝居とも異なる体験。その気持ちはよくわかる。私もはじめは同じだった。
なんだか話がまとまらない。多分今回もボツだろう。尻切れトンボでおわっとこ。

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