生命保険破綻論 (2000/10/18) |
千代田生命が破綻した。5年ほど前にマスコミ各誌に「危ない生保」として警戒されていた渋谷系生命保険の最大手がとうとう倒れてしまった。渋谷系とは渋谷周辺に本社を構えていたことで名づけられた不名誉な愛称である。具体的には我が日産生命、東邦生命、日本団体生命、千代田生命のことを言う。日本団体生命は外資系の傘下に入ったことで破綻は免れたようだが、それ以外は大方の予想通り経営破たんの形で幕を閉じた。ただし我が日産生命は、かのボルドー地方一級格付けのシャトー・ラトゥールを経営するフランスの会社に、東邦は破綻直前に提携したGEグループの傘下に入り経営を続けている。保険契約は条件変更を伴いはしたが、有効に継続されている。上記に加え第百生命・詐欺事件の大正生命も破綻している。平和生命もすでに外資系だ。ちなみに損害保険では第一火災が破綻している。 「ザ・セイホ」として世界最大の資本勢力を形成していた生命保険各社が相次いで破綻した理由はなんだろうか。バブル時の資産が大幅に目減りしたことが要因であるが、忘れてならないのが政府日銀の超低金利政策の影響が絶大であるということだ。 生命保険は長期に保険契約がわたる。特に終身型生命保険や終身年金保険は保険契約の対象たる被保険者が死亡するまで契約は続くのである。二十歳で加入して100歳で死ねば、実に80年もの間契約が締結されていることになる。お金のやり取りには利息の取り決めが欠かせない。契約者から受け取る保険料を、生命保険各社は保険金を支払う時まで運用しつづけている。そしてここに破綻の原因があるのだが、契約当時に設定した利回りは通常変更できないことになっている。もちろん変更の手立てがないわけではないが、変更すなわち破綻寸前を意味することから結局各社は、伝家の宝刀は使えなかった。利回りを下方修正すれば、もうじき破綻しますと宣伝しているようなもので、資金の流失は避けられず、破綻は目に見えているからだ。 保険会社がその資産を飛躍的に伸ばしたバブル期の市場金利は6%超だった。保険契約の予定利率はそれより低い5.5%前後に設定されていた。不動産や株の膨大な含み資産の後ろ盾のもと各社は積極的に運営し、利益を得ていた。その利益は配当金という形で契約者に還元されていた。当時は万事が万事うまくいっていた。ところがバブル経済破綻と共に市場金利はO金利となった。しかもその金利政策は長期にわたっているため、保険会社各社は逆ざやに見舞われた。契約者に約束した5%超の金利の運用の手立てがなくなったのだ。市場から得られる金利が2%としても3%以上の金利の持ち出しを余儀なくされた。 1兆円の3%は300億円である。その300億円は毎年計上しなければならない。保険会社の体力はどんどん蝕まれていくのだ。規模が倍なら金額も倍。これは厳しい。しかも不動産・株価の暴落は含み益の消滅に留まらず、含み損まで発生させていたのだ。各社は運用先を失い、資産を関連子会社に売却した利益で約束した利率に組み込む始末である。餌に困ったトカゲが自分の尻尾を切り売りしていくようなもので、尻尾のなくなったトカゲは見るも無残な姿をさらけ出すことになる。しかもそれは突然やってくる。株式会社でないため、日々市場に監視されなくて済むからである。保険会社の破綻はいつも突然やってくる。今回は違ったが、今までは新聞休刊日の前日が相場だった。 保険会社はその多くが相互会社形態であり、保険料と運用益以外に資金調達の道がない。株式会社なら新株発行等で資金を得る道もあり、株の譲渡により大資本への組み込みも模索できた。しかし合併や子会社化が困難な相互会社では、不動産・株価の復調と金利の正常化を待つのみだった。金利は全く上がらない。しかも保険料収入も日産生命破綻の影響は大きく新規契約は伸び悩んでいた。各社は水攻めにあったごとく持久戦を余儀なくされ、相次いで倒れることとなった。 ではなぜ金利は据え置かれたままなのだろう。保険会社にとって資金は貸す側である。一方ゼネコンや大手百貨店は借りるほうである。今は借り手が危ない。金利を上げれば返済額が当然上昇する。1兆円借りてて金利が1%上がっただけで年何100億円の利息が増える。月にしても10億円弱だ。ただでさえ待った無しの状態で、首をしめるわけにはいかない。低金利政策の下でも「そごう」は破綻する始末だ。企業が倒産すると、明日からの生活に困る。失業率が最悪の状態にあって、企業をそう簡単にはつぶせない。その企業が大きければ、従業員はもとより取引業者、金融機関への影響は計り知れなくなる。 ある企業がつぶれると膨大な従業員と家族が路頭に迷う。しかもつぶれた瞬間からその多難はやってくる。ところが保険会社の場合、とくに日々の生活には影響を及ぼさない。もちろん将来の保険金や年金が半分以下に減額される危機はあるものの、それは20年、30年先の話である。保険会社の従業員はともかく、保険契約者にとっては仮に自分の契約している保険会社がつぶれたところで、明日の夕飯には困らないわけだ。もちろん資産の減少には立腹するが、銀行預金の口座が半減するわけではない。さらに通常当面の死亡保険金は据え置かれるため、今宵死んでも保険金は満額支払われる。 つまりは保険会社の破綻は他の企業の倒産に比べ規模こそ大きいものの、被害はすぐには実感されないのだ。当日から影響が大きい企業に比べ、比較的つぶしやすい。問題の先送りとも言える。保険契約と日常生活のどちらを優先すべきか。答えはわかりやすい。 日本に生命保険会社は多い。そのうちの何社かがつぶれるのはやむを得ない。全体の景気回復のためには、泣かなければならない業界がある。今日、大銀行でさえ、日本政府が見えざる大株主である。公的資金の返済があるまでは銀行はつぶせない。国の責任が問われることになる。しかし、保険会社は株式会社ではないので、国は大株主にはなりえない。国の損害も知れている。国が保険会社一企業の倒産劇に関与するメリットはあまりない。経営者の責任追及で事足りてしまう。監督責任の重さは、公的資金回収の重さに比べとても軽そうだ。責任の重さに比例しているのだから致し方ない、との理屈も通りそうだ。 保険会社が破綻すると、なによりも現場に近い人間が苦労する。お客様と会うのは保険外交員であり、彼らの多くは主婦であり、失職とともに生活での信用も喪失する。彼女らの契約までの苦労や破綻処理の状況を知る者として、また自分自身も過去に同様の経験をした者として、保険会社の破綻劇には、やるせない気持ちにならざるを得ない。 今日の不況下に於いて、日産自動車の大リストラ計画にも見られるように、景気回復のためには苦渋の選択もやむを得ない。その理屈は頭では解る。しかし、その苦渋のど真ん中に立たされた者のじくじたる思いは、政策決定の立場にある者たちには解りえないことも、私は知ってしまっている。 保険会社の破綻プロセスは一筋縄では行かない。損害保険との差もあるし、予定利率の変更も個人保険と団体保険ではその扱いも異なる。しかし、それらを追求していくと話は途方もなく長くなりそうなので、今日のところはこのくらいにしておこう。 以上 Copyright (C) 2000 Yuji Nishikata All Rights Reserved.
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