ユニクロへの逆襲 (2000/12/12) |
ユニクロが凄い勢いで増えている。先週新宿南口の高島屋の手前に開店したと思ったら、なにかと話題の幕張カルフールにも出店していた。都内のあちこちにUNI QLOの看板と紙袋が氾濫している。店舗増加は都内だけではない。地方都市への進出も目覚しい。山形県鶴岡市にもあったし、神奈川県平塚市にもある。日本全国ユニクロ尽くしの様相だ。 ユニクロの急成長はマスコミにも大きく扱われている。低価格でありながら品質は落とさず、カラフルなバリエーションも相まって衣料業界に革命をもたらしている。 私もしっかり常連客である。ポイントカードももちろん持っている。2900円のジーパンやチノパンは普段着として最高のシロモノである。カラフルなシャツもとても1900円には見えない。フリースの色も多彩で、同じものでも色を変えただけで簡単にコーディネートできる。安いのに貧乏くさくない。満足できる品質なのに安い。驚きである。 たとえば、不運にも身包み剥がされ、夜明け前の街に放り出されても、そこにユニクロがあれば心配は要らない。若いニイチャンたちにボコボコに殴られ、パンツまで脱がされてもなお、しっかりと離さずに握り締めていた1万円札があれば大丈夫。若い店員の黄色い歓声に包まれるか、ガードマンに取り押さえられるかは、その時の筋肉のつき方次第であるが、裸いっちょで入店して10分もしない間にオシャレな格好ができるのだ。下着から上着まで、1万円で全て揃う。びっくりである。隣にマクドがあれば、おつりで腹いっぱいハンバーガーも食べられる。冬服でも揃うのだから、夏は一週間分のコーディネートさえできてしまう。ユニクロのある街では裸にされても、途方に暮れることは少なくなった。いいことである。ただ、欠点もある。この店の開店時間は11:00からなので、早朝の底冷えには裸ひとつで昼まで耐えなければならない。 話が脱線したが、ユニクロは貧乏生活には欠かせない。手で触れば1900円のシャツと1万円超のブランド物とは品質の差は歴然としている。しかし遠めに見る分にはまったく差はない。生地もしっかりしているので何回洗濯しても、縮んだり、ほつれたりはしない。遠めに同じなら、ついついユニクロで買ってしまう。必然的に全部ユニクロになってしまう日もある。コート・セーター・ポシャツ・Tシャツ・ジーパン・靴下・ベルト・帽子・・・おおお。ユニクロばっかりだ。暴漢に襲われ、止むに止まれず取り寄せた訳でもないのに、穏便な生活に密着しすぎている。これは異常ではなかろうか。 オールユニクロの日。とても得をした錯覚に包まれるが、なんだか非常に寂しさも感じる。別にお金がないわけじゃないのに、何でユニクロなんだと思う瞬間がある。晴れ舞台に上がるとき誰もユニクロは着ないだろう。異性と素敵な夜を過ごす時、ユニクロカップルはフレンチレストランには似合わない。とっておきの日と完全に縁遠くなっている。いつから日常に埋もれてしまったのだ。気合が足りないぞ。ユニクロは、度が過ぎると寂しさが襲ってくる。完全に日常生活に埋没している。自分が小さくまとまっている。ユニクロを全く着ない日。なんだかすこし贅沢でもある。 そんなわけでユニクロは日常生活の必須アイテムであるが、オールユニクロにはしたくない。ユニクロへの逆襲だ。箪笥の占有率も増加して、うっかり着てしまうと全てユニクロになりかねない。そこで私は思いついた。パンツはユニクロでは買わないぞ、と。どんな日もパンツは履く。パンツさえユニクロでなければ、オールユニクロはここで食い止められる。名案だ。あははは。私はユニクロの誘惑に勝てるのだ。私のささやかな抵抗だ。 オールユニクロから開放される時、すこしほっとする。このパンツが私を守ってくれた。ありがとうパンツ。ありがとうダイナミックダイクマ。そしてパンツ以外のユニクロにありがとう。 Copyright (C) 2000 Yuji Nishikata All Rights Reserved.
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