捻挫の季節 (2001/02/07) |
僕はその朝急いでいた。東京ビッグサイトでのイベント最終日のことだった。会場設営準備のため、いつもよりも二本早い電車に乗る必要があったのだ。急ぐ必要性は前の晩から重々承知していた。しかし現実もまた厳しかった。今年の冬はいつもの年より寒いのだ。温い布団から這い出るのにこの難儀はやむを得ない。寒さと油断のためいつしか駅まで走らないとやばい状況だった。線路沿いの道を走るように歩き、CDウォークマンの音が跳ねる程度の速さで小走りに駅を急いだ。僕の後ろでは乗るべき電車が踏み切りの遮断機を下ろさせた。しかし駅はもうすぐそこ。エレベータも運良く開いている。何とか間に合いそうだ。走るか。 ギク。走ろうと踏み出した第一歩が「ぐにゅゃり」と曲がった。思わず、つんのめってエレベータに乗り込んだ人の背中をぽんと押してしまった。「え」と振り返った青年に会釈してお先にどうぞという仕草を見せると同時に、僕はその場にしゃがみこんでしまった。激痛が僕を襲ってきた。へたり込む痛さ。ううう。この痛みには息ができない。くくく。しかしこの痛みは初めてではない。懐かしい激痛だ。あれは中学の時、体育祭の練習で何かの拍子に足を捻った。あの痛みを思い起こさせた。 どのくらいうずくまっていただろう。乗るべき電車は当然ながら、次の電車までもが東京方面に行ってしまったことだろう。あああ。遅刻だ。せっかく急いだのに。あの布団のあの温もりと、ちょっと足を伸ばした先の冷やっこささえなければ。しかしそんな回想している余裕はない。痛いのだ。しかしエレベータの前でしゃがみこむのは恥ずかしい。この駅は短大生も利用するから格好悪いところは見せられないってもんである。僕は道路の向かい側の自販機の横に場所を換えてしゃがもうとした。いやいや。そんな時間はない。早く行かなければならない。右足は明らかに膨張をはじめていたが、屈伸運動はできている。骨を折ったことがないので、骨折の感触は分からないが、中学の記憶に頼れば、なんとか大丈夫だろう。僕は引きずる足に重さを感じながら、気ばかり焦る自分に気づき、歩くだけの行為にこんなにもパワーがいるものかと、つくづく思うのだった。 この時から僕の五体満足マイナス右足首の生活が始まった。痛みは足の甲全体から右手方向にぐるりと覆い、アキレス腱の手前の筋肉にまで達していた。相当広範囲の筋肉を一瞬にして傷めたことになる。裸足になると右側の腫れ具合は顕著だ。まるで他人の足みたいに、ただぼてっと膨らんでいる。足の腫れが完全にひくまで2週間の時が必要だった。 <痛みの絶頂期> 一歩踏み出すたびに痛みが伴う。まさに足を引きずりながら、それこそ100M歩くのに途方もない時間がかかり、すぐそこに見える景色はいつまでたっても近づいてこなかった。靴は何とか履けるが、一度脱ぐともう一度履くのにうんざりするほど時間がかかる。 <痛みの引き際> 足は痛いものだと思い込んで何日目か。びっこ引きずりながら歩いていて、ふとしたきっかけでちゃんと歩けた瞬間がある。なんだ。ちゃんと歩けるじゃんか。普通に歩こうとするが動きは鈍く、ぎこちない。しかも油断するとやっぱり痛い。道に足が感知できるほどの段差があると痛みが走る。つらい。 <階段での痛み> 階段を上るとき、なんともなく歩けている。おお。これは素直に嬉しいことだ。しかし踊り場では痛みを覚える。まだ直っていない。今度は階段を下りてみよう。痛てててて。上る時の筋肉とは明らかに違う部分を機能させている。しかもそこが痛い。階段に手すりがあるとなんと心強いことか。捻挫のおかげで足の筋肉の役割についても知ることができた。同じ歩くという動作にして、いくつもの筋肉を使い、そしていくつもの筋肉を使わずに歩くのだ。不思議だ。ホンダが階段を昇降する人間型ロボットを開発したが、その技術力には今もって驚かされる。人間の筋肉の働きを解明したってことではないか。おお。 <いつまで痛いか> 捻挫をすると回りの人が気を遣ってくれる。ありがたいことである。特に重い荷物を運ぶ時など、やさしく手伝ってくれる。足は痛いが、心は温まる。そんな人の好意に甘えていると、たまに引きずる足を間違えてしまったりして、ちょっと険悪。この直りかけの痛みが表現しづらい。痛いが、我慢できる痛みかもしれない。筋肉痛と大差ないように思えたら、人の好意に甘えるのは控えよう。たぶん、その痛みは顔に出ている。 <痛みの終り> もう普通に歩ける。しかしシップを貼り替える度に、指で足の甲を押すとやはり痛みを感じる部分がある。いつになったら完全に痛みがとれるのか。既にケガから2週間も経っているのに。なかなか直らないのは歳のせいか。きっと買い置きのシップがなくなったときが、シップ貼りの終りだろう。 <まとめ> 今回の捻挫はごく普通に歩いていたのに、ふとした足の踏み込み違いで捻挫してしまった。まったく情けない。日頃の運動不足とぽっちゃり目の体型が原因だろう。しかしこんなことはコラム以外には公にできるものでもない。今年は雪も降る。そうだ。雪で滑って転んだことにしよう。埼玉の雪はいまだに道端に残っているのだから。冬でよかった。 雪道は転びやすいから注意しましょう。そうしないと僕みたいに捻挫するから、ということで。 おわり Copyright (C) 2001 Yuji Nishikata All Rights Reserved.
|