最新コラム やせ我慢のすすめ (2001/03/03) |
東海道線という乗り物は時として過剰なサービスを提供してくれると常々思っていたが、今回もそんなエピソードをひとつ。 ここ二・三日は寒さも和らぎ、春の訪れを予感させていたが、その夜はやけに寒かった。東京駅で車内清掃したばかりの電車に乗り込んで、ドア側の二人掛けの席に陣取った。電車はあっという間に満員になった。ホームには次の電車を待つ列もできていた。まあ座れてよかった。電車が発車してまもなく、僕はお尻に違和感を覚えた。なんだか熱いのである。電車の暖房設備は座席の下にあるが、そこから熱い空気が立ち込めてきた。嫌な予感がした。そしてその予感はジャストぴったんこだった。 予想通り電車のシートが熱くなってきた。それはすでに暖房機の枠を超え、私の大腿部を強烈に刺激してくる。これは熱い。いや熱すぎる。持っていた文庫本を太股の裏にあてがうと、あっという間にカイロになった。隣に座る女性を見るが、特に何もないようだ。普通にしている。この女性は何も感じないのだろうか。何故この熱さに平然としていられるのか。僕は女性の太股と顔を交互に見比べた。ふと立っている人の視線を感じた。気のせいか変態を見る目になっている。僕は思わず窓の外の景色を眺めるのに必死になった。 車中はほどほどに混んでいた。高齢者や怪我人などが立っていてくれれば、すぐにでも席を譲りたいところだが、残念ながらみな若い人ばかりだった。周知の通り、東海道線の駅の間隔は長い。品川駅を出ると戸塚駅まで停車駅は10分間隔である。今、品川を出たばかりだから、川崎駅までしばらくかかる。ここで唐突に立ちあがるのは違和感があるだろう。しかも席を立ち、誰かがこの席に座ったとして、この席の異常な熱さを知るとき、僕の異常な皮膚感覚というかこんなにも高熱のシートに座りつづけた無神経さを暴露するようなものだ。ここは我慢のしどころだと思った。 ようやく駅に着いた。ドアが勢いよく開くと冷気が車内に吹き込んでくる。みな一様に首を引っ込め、背を丸めた。外は凄く寒そうだ。この冷気がシートの熱を一瞬にして奪っていった。んんん。熱くない。いい感じだ。これなら座っていられる。ここで席を譲ることもなかろう。このまま座っていこう。まだ自分の駅まで相当あるのだから。 考えが甘かった。扉が閉まり電車が動き出すと、再び高熱のシートに変貌した。熱い。僕は座っているにもかかわらず爪先立ちをして、シートと太股に隙間をつくった。妙な格好になった。お尻にデキモノでもできてるのかな、そう思われたに違いない。いっそのこと立ち去ればいいと思いつつ、次に座った人の視線を背中に感じるのはよろしくない。高熱に耐える男という冷たい視線には耐えられそうもない。ましてや誰かが座った瞬間にアチッとか言って立ち上がられようものなら、私の恥も外聞もあったものではない。次の駅に到着さえすれば、真冬の冷たいあの空気が僕のお尻を再び冷やしてくれるのだ。 待とう。真冬の暖かい電車で、なぜか僕は汗を流しつづけ、コートを開け広げては何度も座りなおした。熱い。本当に熱い。この熱いシートは東海道線ではよくあることだが、こんなにも熱いのは初めてだ。前の席やボックス席の人々を眺めても、みな暖かそうにしている。この席だけが異常なのだろうか。全く不思議な電車に乗り合わせたものだ。 電車は戸塚に着いた。僕はまだ座っていた。完全に立つタイミングを失っていたのだ。ここから先は今までの10分間隔から短縮されて5,6分間隔になる。今までの10分間隔に耐えられたのだ。そう思ったら今度は逆に目的地まで耐えることも一興だ。走行中の強烈な熱さと、停車中の爽やかな冷気を大いに楽しもう。背中には幾筋もの汗が流れ、爪先立ちを繰り返し、なんともせわしない車中になった。あと少しで目的の駅に到達する。ここまで我慢していまさら席は譲れない。目の前を年配のご婦人が席を探していたが、思わず寝た振りをしてしまった。申し訳ないと思いつつ、僕の背中は寝汗(?)で、びっしょりだ。コートを着てサウナに入っているようなものだ。これはひょっとしてお得かもしれない。立っている人と同じ運賃で座っていられ、そのくせ汗までかいて減量に成功したかもしれない。楽して痩せられる。これはいい。熱さに耐えた達成感と停車毎に頬に感じる冷気。過剰暖房という逆境を逆手にとって、快楽へと導く機転。なかなかいいぞ。 三寒四温といいつつも、またまだ寒い日は続く。そうだ。寒い日こそ東海道線に乗って、座席で繰り広げられる三寒四温を大いに楽しもう。熱さを知ってこそ得られる冬の冷たさを楽しめるのだから。 もし冬場の車内で汗をかいている人を見かけたら、きっとこのコラムを読んで実践してくれている人だと信じて窓のひとつも開けてあげよう。立っている人にはヒンシュクかっても、きっとその人には感謝されるのだから。 おしまい Copyright (C) 2001 Yuji Nishikata All Rights Reserved.
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