牛丼280円 (2001/07/11)
 

 一杯400円の牛丼の並盛が、8月から280円になるという。4かつて期間限定で実施されたことはあるが今回は恒常的な価格設定だという。期間限定280円の時は圧倒的な物量により、大勝利を収めた。デフレを象徴する出来事としてマスコミにも取り上げられたことは記憶に新しい。期間中、都内の隣接する店舗では、あまりの繁盛ぶりに食材が手に入らず、休店するところまであった。

 牛丼280円は確かに安い。コンビニ弁当が500円前後、コンビにおにぎりも二つで260円程度する。駅の立ち食いそばのかけそばでさえ、240円はするだろう。そばの場合は腹持ちが悪く、お稲荷さんなどを追加注文すると300円の大台は越えてしまう。一般の定食屋ではランチ780円、ホテルの昼食セットなら1000円だろう。一般的な昼食と比べると280円は安い。しかしその牛丼ですら、かなわない食べ物がある。いわゆる平日半額ハンバーガーである。一個65円。これも確かに安い。ハンバーガーを三つも食べれば相当の満腹感も得られるし、二つにとどめて炭酸飲料など飲めばすっかり一食分である。牛丼のライバルがハンバーガーである現実は、昼時ハンバーガー店のレジに並ぶサラリーマンの姿に表れている。

 かつてハンバーガーはサラリーマンには縁遠い食べ物だったはずである。女子高生に混ざってレジに並ぶのはなんとも恥ずかしかったはずである。家族連れの週末、着慣れない私服に戸惑いつつ、場違いだな、家族サービスは辛いよという表情を浮かべながら居心地の悪い椅子に座っていたものだ。それが価格破壊的なハンバーガーの登場はデフレスパイラルに陥った日本のお父さんの財布に妙にやさしくなった。400円の牛丼で済ますのも安いが、ハンバーガーなら同じ予算で2日である。
 牛丼屋さんからハンバーガーショップに客層が流れた。280円での成功を知る牛丼屋が手をこまねいて傍観するはずはなく、いよいよこの夏、本格的な280円戦争が再び勃発するのだ。

 ところで280円というのは本当に安いのだろうか。仮に注文受けて、牛丼一杯作ってお客が食べ終わるのに10分かかるとしよう。ひとつの席に1時間あたり6人座ることになる。これで、1680円の売上になる。840円の定食を30分ずつ二人が食べたのと同じ計算だ。840円の定食なら、おかずの種類も充実しお皿の枚数も増えることだろう。食材が増えれば調理する手間隙がかかる。洗い物も増える。まして食後にコーヒーを頼まれれば1時間近くねばられることにもなる。定食は効率が悪い。メニューもそれなりに替えないとすぐに飽きられてもしまう。しかも定食の場合二人以上のグループで食べることも多いだろう。複数で食べれば会話も弾む。会話が弾めば食べる速度も落ちる。速度が落ちれば、回転率が下がる。回転率が下がれば売上が落ちる。売上が落ちると。。。
 定食を一人で食べると30分で終わるが、二人で食べるとなんだかんだで1時間かかったりする。混んだ店なら気を使ってすぐに席を譲ろうとも思うが、テーブルにゆとりがあれば、しばらくのんびりしたくもなる。備え付けの新聞や週刊誌などに目を通すのも客にとってコストパフォーマンスがよかったりする。つまり二席分の売上が1680円にとどまる。
 
 一方牛丼は1席6人で1680円なので2席なら12人捌いて3360円になる。売上が倍になっている。しかも牛丼の場合、食材はご飯と牛肉とねぎ、そして味噌汁だけである。大量仕入れによるコストダウンも計られている。仕入れ原価がさがって売上が倍になるのだから、利益も増える。これはすごいことだ。所用時間も5分で平らげられれば、さらに倍の売上になる。

 定食屋のキャパシティはそう多くない。20人も座れば一杯という店も少なくない。牛丼屋は50席でも300席でも場所さえあればスペースは確保できる。新宿歌舞伎町あたりには道を挟んで二店舗あったりする。牛丼屋は基本的に一人客をターゲットとしているためテーブル席に一人で座られるようなデッドスペース化の心配もない。カウンターでいいのだ。満員の店内はみんな一人の客だ。複数できても席が隣になる必要もなく、空いてる席に座っても問題なしだったりする。牛丼の効率の良さはつまり売上増につながる。オーナーはほくそえむばかりだろう。

 しかしである。店員の多忙さは、異常であるように思われる。手際よく注文を捌いていく姿にはプロのオーラさえ見えることもある。戸惑う新人のぎこちない動きと比べると、あざやかでもある。そんな店員一人は何人のお客と接しているのだろうか。仮に20席担当するとして1時間あたり20席x6回転で120人担当する。一人のお客と直接接する時間はわずか30秒になる。これはすごい数字だ。ちょっとありえないかな。まあ時間あたり100人として、時給800円なら客一人あたりの店員の手間賃は8円である。注文とって厨房に伝えて、水出して注文から1分以内に牛丼出して、生姜補充して、お金預かって、おつり渡してありがとうござましたの一声添えて8円なのである。280円のうち接客費が8円で済む。50人の接客ですら16円なのだ。あのめまぐるしい接客コストたったの8円。だから280円になったという逆説的な考え方もできるが、なんといっても安過ぎやしないだろうか。

 道で8円落ちてたとして、道行く人は拾うだろうか。拾ったとして交番に届けるだろうか。何かの拍子に拾ったとしてそのままぽっぽに入れるか、そのまま素通りすることも多いだろう。8円で買えるものは日本にはない。8円の価値はそういうレベルなのである。ちりも積もればの通り1時間で800円にはなる。8時間で6400円。

 レストランで夕食を楽しむとき、サービス料を料金の10%とられることがある。1万円の料理なら1000円がサービス料になる。牛丼に当てはめれば凡そ28円。今の3倍もらってもいいはずなのだ。レストランは空間サービス料だが、牛丼は超現実的なサービスだ。一概に比較はできないが、牛丼の接客費用は明らかに安い。

 もっと労働に見合った収入を得てもいいと思う。あの忙しさにはもっと対価を払うべきではなかろうか。牛丼が安くなれば、自分の財布は助かっても、自分の労働対価は下がっていく。労働対価が下がれば収入も下がる。収入が下がればもっと牛丼を食べざるを得ない。これがデフレというやつか。こいつはまずい。牛丼はうまいが、この価格設定はまずいだろう。280円払うのやめて500円払おうよ。500円ならコンビニ弁当と同じだ。同じ予算でどっちかを選べる。牛丼とハンバーガーばかりの偏った食生活も打破できる。
 価格が上がれば、デフレに逆行できる。デフレは牛丼から跳ね返そう。
 
 いま牛丼が280円になればデフレが長引く、デフレスパイラルの渦から抜け出せない。牛丼が500円に値上げされれば、安いから食べていた牛丼一辺倒の食事から抜け出せる。ほかの外食産業も活気付く、活気がつけばやる気も出てくる。笑みもこぼれる。労働に見合った収入も得られる。購買意欲も高まる。物が売れ始める。物が売れればみんな潤う。みんな潤えば、食事に余裕が出てきて、味もうまくなる。料理がよければ酒もうまい。酒がうまいと幸せだ。そう。おいしいお酒が飲めるのだ。

 そんなわけで私は、牛丼の値下げに反対するぞ。


 おしまい

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