続・千と千尋の神隠し (2001/10/14)
 
 宮崎駿監督作品「千と千尋の神隠し」を三度、神奈川圏内某所にて鑑賞した。観る毎に感動し、その脚本、映像美、音、演出等々その偉大さが伝わってくる。すでに二度鑑賞しているが、今回わざわざ映画館に足を運んでのには訳がある。映画の最後のシーンを確認したいが為である。最後も最後、車が走り去る直前のあのヒトコマを確かめたかった。それは千尋の横顔のアップのその場面である。宮崎アニメの特徴として、主人公の横顔に対する思い入れがあげられると思うが、その横顔に見入ってしまったが為に見落とした部分があったのだ。正確に言えば確かに見ていたその部分を、その部分を見るためにのみ、一本丸々見ることにした。

 千尋の髪をである。この物語は夢だったのか、現実だったのか。魔法では解き明かすことが出来ない「あれ」がどうなってたのか。窓が開けたままの車に積もる葉の印象が意外と強く、つい見落とした感があるあの場面が気になってしょうがない。
 安心した。宮崎アニメのラストを飾るにふさわしいシーンであった。本当はここでその詳細を明らかにしたいところであるが、まだ見ていない人の為に伏せておこう。

 ところで坊の部屋は、カリオストロの城のクラリスが幽閉されたあの部屋と共通している。きわめて東洋風の湯屋にあって、何故あの塔だけが西洋チックなのか。窓から見える風景にはカリオストロ城があり、ハイジが走っていそうな草原も見える。窓ではなく、窓を塞ぐ絵画かもしれないが、あの風景に宮崎アニメの原点とも言えるオリジナリティを感じ、とても安心できる。クラリスのあの部屋からはルパンが落ち、坊の部屋からはミギハヤミコハクヌシと千尋が落ちる。靴を拾おうとして川に落ちた記憶と共に・・・。

 この映画を清水義範作「国語入試問題必勝法」風に例えれば。「漫画だろ。」と五文字(読点含む)で言い表すことは出来る。確かにそれ以上でもそれ以下でもない。しかし、アニメでしか描けない心の本質を共有できれば幸いである。エンディングテロップと共に流れる木村弓の「いつも何度でも」の歌声が今も心に残っていたら、きっと今宵のお酒もおいしいに違いない。映画の長さと同じ位、場面場面を振り返り、語り合いながら、ワインを一本あける幸せ。そんな夜には、どんなワインが良いだろう。エゴンミューラーのカビネットあたりを飲めたら、きっと良い気分さ。

 また近いうちにもう一度観にいこう。細部へのこだわりと、少しずつ漏れ伝わる物語のエピソードが、もう一度映画館へと向かわせる。こんな気持ちにさせる映画は久しぶりであり、とても良い感覚である。


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