続々・千と千尋の神隠し (2001/10/20)
 
 宮崎駿監督作品「千と千尋の神隠し」を三度、神奈川圏内某所にて鑑賞したが、まだ四回目は行っていない。その代わり主題歌「いつも何度でも」木村弓のCDとスタジオジブリ絵コンテ全集13「千と千尋の神隠し」宮崎駿を買ってしまった。いいね。すごくいい。

 絵コンテというのは映画の設計図にあたるもので、監督のイメージを的確にスタッフに伝えるためにあるという。私はスタッフではないが、そのメッセージは圧倒的なパワーをもって伝わってきた。鉛筆で書かれた1300枚を超える画面と注釈・台詞からこの作品の周到な準備がうかがい知れる。あの映画が偶然の産物ではなく、丹念に練り上げられた才能の塊であることをつくづく知ることが出来る。絵コンテだけですでに物語としても読み物としても完成されているし、絵も映画そっくりである。逆である。このコンテを基に映像化されたのだ。絵の横に添えられるコメントが、映画ではそのまま主人公の表情や台詞に反映されている。木村弓の歌声を聞きながら、絵コンテを読みふけっていると、あの映画の情景が目に浮かび、声優たちの声が耳の奥に聞こえてくる。言葉と表情で心の本音を伝えられる才能がすばらしい。
 宮崎駿のすばらしい才能に驚嘆するとともに感激して止まない日々がまだまだ続きそうである。先ごろ日本人のノーベル化学賞受賞のニュースが報じられているが、ノーベル文学賞が宮崎駿を選ばないのは不思議な現象である。

 ん。いまNHKに木村弓が出演しているぞ。主題歌誕生秘話がテーマだ。少し休憩。
歌声のイメージそのままの方だな。映画化されなかった構想「煙突書きのりん」を意識して書かれた作品が今回の「いつも何度でも」らしい。

 ところでこの絵コンテ集と同封されている作品論を読んでいると、ますます四回目が観たくなる。気がつかなかったシーンがあるためだ。車止めの顔が最終シーンではなくなっているというのだ。これは自分の目で確かめるよりないだろう。またサブキャラクターのカオナシにも一段と興味が沸く。「みんなのなかにカオナシはいる」という監督のメッセージが心に刺さる。それでいてカオナシが銭婆宅で遠慮がちに食べるケーキがうまそうで、なんかほのぼのとする。
 何も知らずに観た1回目と、衝撃の興奮覚めやらず見た2回目と、確認したくて観に行った3回目。そしてホームページや雑誌などから得た情報をもとに確認したい四回目・五回目・六回目・・・・・・。人は知ることで感動する。そんなことを思ったりする。

 ところで先日初台某所の駐車場での出来事。ロミオとジュリエットの公演直後の某所は、有名人を一目見ようと女性たちが楽屋口に群がっていた。楽屋口の隣にはその人のものと思しき白のフェラーリが止まっていた。誰なんだろう。壁に貼られたポスターを眺めてみても知っている名前は見つけられなかった。知らないから、どんなに人が群がっていようとも、その注目の人がどんなにすばらしくとも何も感じない。知らないことは恐ろしい。私がその駐車場にいたのは違う目的だった。いつもの某店でフランス料理を堪能するためだった。料理はいつも完璧なので割愛するが、ワインはラヴノーのシャブリ1級ブトー1995とフェブレのラトリシエール・シャンベルタン1985を堪能した。シャブリにおけるラブノーの立場と、1985年というチェルノブイリ原発事故前のビンテージにして偉大な年のグレートな造り手のラトリシエールの個性が印象深い。知らなければただのワインであるが、知っているからこそ味わえる感動がある。同席せさていただいた某氏と某氏夫人と某女史はもちろん、そんなワイン情報はしらないけれど、この味わいを紹介できたかと思うとうれしくなる。特に某氏からは過去最高の赤ワインとの絶賛を受けた。彼らの笑顔が独り善がりの知識でなかったことを証明してくれているようで、とてもうれしかったりする。

 知っていることで感動は深まる。知らなくても共有できる情報があれば、感動が生まれる。観た後に溢れる千と千尋の情報と、飲む前から情報を得ているワイン。両者とも知れば知るほど感激が鳴り止まない。知らないことはつくづく恐ろしい。知らなければ日本に二台しかないという白のフェラーリですら素通りである。
 次ぎはどんなことを知るだろう。知るために街に出よう。そういえばフランス在住の某女史が銀座某所でワインフェアのため帰国しているはずだ。これから銀座に向かってみよう。なにか良いことを知るかもしれないから・・・。


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