インド大使館に行ってきました (2002/02/04)

 
 「九段下の駅を降りて坂道を、人の流れ追い越していけば・・・
 この日の東京は久しぶりに寒い冬であった。日曜日の夕方、小雨交じりの九段下は人影もまばらで、なぜこんな寒い夜にインド大使館に行くのか、少し戸惑いながら、重い足取りはようやく坂道を登っていく。靖国神社の大鳥居を真横から眺める都会の一等地、千鳥ヶ淵のすぐそばにインド大使館がある。大使館という存在に慣れていない私は、玄関先で入ろうか帰ろうか躊躇しながら妙にきょろきょろ視線が定まっていなかった。フランス大使館や日仏学院に共通する異国情緒とでも表現しようか、日本にいながらにして異文化の雰囲気を肌で感じてしまう。玄関先の守衛のおじさんに聞いたホールへ向う。入り口で靴を脱ぎ、コンクリートのような固い床にじゅうたんを敷いたホールには、すでに数十もの人達が座っていた。老若男女。国籍不明。壁に並べられた荷物置き兼用のいすに腰掛けホールを眺めてみたりする。ホール向かって右側には、カラフルな色彩の壁画がインドを思わせている。平面的で、原色の筆遣いは素人の落書きのように見えたりした。左端で白い鳩が羽ばたき、左より赤い像が荒いタッチで踊っている。中央にはお釈迦様と思しき僧侶が座禅を組み、何やらとってもインドチックである。ここに徳川慶喜がいるならば、今から大政奉還を宣言しそうな大きさの部屋は、ヨーガなどを行うのに適していそうである。天井は木枠を配置し、スポットライトがいろいろな方向を照らしている。左側の壁には絵画がかかっていて、「渓谷に月」というタイトルを名づけたくなる。ホール正面は一段高くなっており、そこには二名のインド人が手にした楽器の調整を行っていた。

 私はコンサートにやってきたのだ。その日の午後、メールをチェックしていると1通の転送メールを受信した。ぴ○マップ編集者の友人が、エー○フラン○の某氏宛てに送ったメールが私のところにきた格好である。両者とも旧知の仲なので、転送も何ら不思議なことではない。メールはこんな文章だった。「マジカルな時へのお誘い・・・癒しの音楽の旅  アートオブリビング上級教師ビクラム・ハズラさんがマジカルな時をプレゼントして くれます。癒しの音楽、知恵&瞑想が含まれる楽しい時間です。お友達、家族を誘っ て是非一緒に楽しみに来て下さい。」
 
 費用が無料で、場所がインド大使館とある。時間は今夜。生まれたときからタダという言葉に弱く、「タ・イ・シ・カ・ン」という縁遠い響きが言い知れぬ好奇心を呼び起こし、体が疼いている。この疼きは今年一番の寒さから来るのではない。「タ・イ・シ・カ・ン」から来るのだ。およそ大使館というものに縁がない私は、未知の世界の出会いに寒さを忘れ東京を目指し、今年四度目の上京を決意したりした。寒さに備えカルバドスを一口含むと、ぽっと体が温まった。

 目が慣れてくると会場はインターナショナルである。インド人としか思えない男性も多いが、アングロサクソン系も多い。子供らもあちこちを走り回り、インドの女性の美しさに目を奪われたりする。日本人女性もインドの民族衣装をまとっていたり、バンダナを頭に巻いてそれ風の女性も多い。インドの子供が友達の日本人の子供に向かって、「静かにして」と完璧な発音で注意している。この子は裕福な家庭に生まれたんだろうな。教育が行き届いている。次第に人も増えてきて、100人を超えたころに、音楽は始まった。およそインド音楽に造詣がない私は、どこかで耳覚えのあるメロディを頼るように座っていた。参加者の多くはヨーガ教室か何かの常連さんらしく、後で聞けばアート・オブ・リビングという呼吸法と瞑想法をとり入れたセルフヒーリングというものらしい。国連に認められた非政府組織NGOが活動しているとのことだった。

 コンサートはギターと太鼓の二つの楽器演奏で、耳に慣れないヒンドゥー語がとても瞑想風であり、時にリズミカルな踊り出したくなる曲もある。インド独特の指先が天に伸びるような踊りが目に新鮮で、心のそこから踊りを楽しんでいるようなうらやましさがあった。子供たちが黒板に落書きをしても、走り回っても何ら問題なく曲は進行していく。曲の合間に歌い手からいろいろな説明があった。「子供たちが暴れていて、うるさく思うかもしれません。しかし私たちは子供の心に帰ろうとしているのです。イノセントからインテリジェンスへと移り変わる過程の中で失ったものを、この音楽と共に呼び覚まし、悦びを感じ、大いに楽しみましょう。」流暢な英語に耳を澄ませ、日本語訳で確認する。不思議な音楽の連続に、最初場違いを自覚していた気持ちも次第に打ち解けてくる。音楽は国境を超える。いい感覚である。コンサートは呼吸法のコースを終了した日本人の男性によるラップも交え、あっという間の2時間は過ぎていった。オームの影響で、ヨーガについて根拠のない間違った固定観念が、ほどけていく感覚がなんとも不思議である。

 今回の異次元体験で感じたことがある。まずはインドについてである。インドという国を私は知らなかった。ビジネス会話として英語が定着し、完璧な英語を話すインドの人たち。10億人を要するアジアの大国に日本が遅れをとっていることを実感せざるを得ない。大使館でもらった資料を見れば、すでに先進国である。多民族・多宗教・階級性・核保有などさまざまな問題は持っているが、確実に日本より上を行く英語力は国際舞台の出番を待っているかのようである。国際舞台で活躍する指揮者のズビン・メータ氏は決してインドの例外ではなかった。10億人のパワーに圧倒されそうである。そして、大使館という存在である。恐らくこの場に集った人たちは、立場も教養もある人たちだろう。インドのエリートコースを確実に実現する人々との出会いもまた新鮮であり、刺激的でもある。そして今夜の集いを境に、インド古典「ヴェーダ」やヨーガの呼吸法にも興味が沸いてくる。大使館はお堅い役所の窓口ではなく、文化の交流の場としても機能していることを知った。

 何の因果か私に転送された1通のメール。ここから新たな出会いが始まりそうで、少しうきうきしたりしている。そして会場の壁に描かれていた荒いタッチの絵が、なんだかとてもありがたいお経のように思えてくるから不思議である。この絵の前で瞑想にふけるのも、悪くない。今宵の出会いに感謝である。


以上 


 爆風スランプ「大きなたまねぎの下で」のフリーズより引用。 
 ペンフレンドとの儚い恋をテーマにした名曲。大きなたまねぎとは、千鳥ヶ淵の日本武道館を指す。



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