おフランスを気取るタカビーな女達へ (2002/08/03)

 
 おっと今回のコラムタイトルは非常に攻撃的で、挑戦的になってしまった。まずいかなと思いつつ、ちょいと書き進めてみよう。やっぱりまずいかな。怒られるかな。友達なくすかな。いやいや、もしかしたら感謝されるかな。でも特定の人物を誹謗中傷するのではないから、まあよしとしよう。
 
 フランス国内で生活していてフランス語を流暢に操る女性と話すと、往々にしてなにやら非常に鼻につくことが多い。別に彼女達に交際を申し込んで断られたとか、自分のフランス語の未熟ぶりをひがんでのことではなく、彼女らと話すと非常に冷たい印象を受けてしまうのだ。一度やニ度会話を交わしたくらいで、そんな決め付けないでとお叱りを受けそうだが、感じてしまったからには致し方ないのだ。もちろんフランス国内で生活し、フランス語が堪能な日本人女性全てにその傾向があるわけではないのだが、なにかお高く止まった感が否めない。

 この傾向はフランス語能力が完璧に近づくほどあるようで、日本で一緒にフランス語を学ぶ女性達には、みられなかったりする。なぜだろう。そう思い始めたある日、ふと、この印象は個人的な性格や性質によるものではなく、語学的な特徴からくるのではないかと思ったりした。ふと思ったので特に根拠はないのだけれど、以前フランス語の講師も同様の指摘をしていたので、あながち見当違いでもないかもしれない。

 たとえばフランス語で初対面の人やお客さんに住所を尋ねるとき 「Vous habitez où ?」と質問する。発音をカタカナにすると「ヴーザビテウー」となる。日本語に訳すと「どちらにお住まいですか」になるだろう。それをフランス語が堪能な女性に日本語で同様の質問をされるとき、「あなたはどちらにお住まいですか」となったりする。日本語の会話では普通、主語は省略する。この場合は、「あなた」は私のことと認識されているので、「あなたは」を省略して、「どちらにお住まいですか?」や「お住まいは?」または少しくだけて「どこに住んでるんですか?」とか「東京ですか?」とかになるはずだ。

 日本語は、相手の立場によって、同じ趣旨のことを聞くのにもいろいろなバリエーションが用意されている。正確な敬語もあれば、少し崩した敬語、親しみを感じさせる語調、またはすぐにでも「どこ住んでんだっけ」みたいな友達感覚風の言葉に移行しそうな言葉など、いろいろだ。大抵の場合は瞬時にどの格調を選ぶかが判断され、修正されていく。フランス語は私の知る限り親しい人とは「Tu」 そうでない人とは「VOUS」で会話する二パターンしか知らない。もっとフランス語を勉強するうちに新たなる発見はあるかもしれないが・・・。

 住まいを聞くだけなら、ものの1秒で会話も終わるので特に問題はない。しかし、なにか意見や考えを求められたとき、「あなたはどう思っているんですか」や「あなたのご意見は」などが連発される。まさにフランス語を直訳した日本語になって質問されるのだ。会話が盛り上がる ? ほどに「VOUS」つまり「あなたは」が多く登場する。「どう思いますか」「どう思うんですか」などに慣れているのに、省略されるはずの言葉を連発されると、言葉に冷たさを感じたりする。「あなたは」「あなたは」「あなたは」だ。そう。言葉がきついのだ。日本語は共有する情報は省略するのに、強調するかのように「あなた」を切り出されると、少し違う印象を持たざるを得ない。そこにフランス語が流暢に話せず、日本語での会話を余儀なくされる引け目もあって、相手の質問が「お高く」「お高く」なっていくのかもしれない。なお悪いことに、彼女らが私が「あなた」に対して違和感をもっていようとは思ってもいないようだし、「あなた」の連発を意識することもないから歩みよりもなさそうだ。

 そして曖昧な回答が多い日本語の中で、白黒をはっきりさせるヨーロッパ言語は、会話をナイフで切るようなスパスパ感があるように思えてくる。肯定なら「Oui」 否定なら「Non」なのだ。結論を言ってから理由を答える。自分の意見をキチリと持っていれば何てことないのだが、どうもそこらへんのポリシーが弱かったりすると、「あなた」の意見を尋ねているのに、答えを持っていないのですね、と問い詰められたような感じになってしまう。そして意見が同調されるものなら、「Oui」で受けられ、違うと思われれば「Non」と即座に否定される。自分の意見が即座に判断される状況は、けっこうカルチャーショックだ。「なるほど、そうですね。でも私は、そうはおもいまセン」「なるほど、そうですね。私も、そうおもいまス」 適当な合いの手を打ちつつ、結論を最後に持ってくる日本語と、結論から切り出すフランス語の言語学的な相違点が、パリのある街角のカフェのテーブルで展開されると、非常に戸惑いつつ、「なんかヤな感じ」になったりする。こんな風に思うのは、私だけだろうか。何しろ「ふと」思ったことなので、非常に曖昧な空想の世界だったりするが・・・。そしてサンプル数も決して多くはないので、個人的な偏見の域も出にくかったりする。

 ただ、こうして言語学的 ? な観点、「発音される主語の直訳」と「結論からの会話」が、同じ日本人同士の日本語の会話の中に頻繁に登場するからこそ、異質を感じ、それがフランス語が話せるがゆえの現象と思いつつも、お高いイメージを植え付けるのだろう。そもそもフランスには「お」をつけて「おフランス」と形容する風習もあったりするから、その影響もあるかもしれない。

 フランス語を流暢に話す日本人女性との日本語の会話において、上記の点を差し引いた上で会話を楽しめれば、その人の「人なり」が浮かんでくるはずだ。「こいつはタカビーなフランスかぶれした女だ」などと先入観崩れの偏見を決してもつことなく、じっくりとひざ詰で会話が楽しめれば、パリの日常生活に美しい花も咲くことだろう。その上で、本当にやな奴だったら、そのときはそのときだ。ましてや予想外のうれしい展開になるかも知れず、出会いのチャンスを自ら摘むこともない。異国の街での数少ない出会いを大切にしよう。

 ふと、そんなことを思ってみたりした・・・。
 次のテーマは「日本人男性とフランス人女性の恋愛は成立するか」かな。

 
おしまい

目次へ    HOME

Copyright (C) 2002 Yuji Nishikata All Rights Reserved.