ヴィヴァルディの四季 (2003/03/02)

 
 某夜、藤沢某所にて。病み上がりにつき、ハードリカーは控えて、バーボンベースのカクテルをロングでゆっくり味わっていると、店内の音楽がアントニオ・ヴィヴァルディ(1678頃-1741)作曲の「四季」作品8の第1集の第1楽章「春」ホ短調であることに気がついた。卒業シーズンにかけて決まってかかるこの名曲は、いつ聴いても心が穏やかになり、今は遠い制服姿の自分を思い出したりもする。某夜は今まで聞いたことがないバージョンで、リコーダーをメインにした構成のようだった。ヴィヴァルディの「四季」のうちの「春」。名曲である。

 この曲には思い出がある。今から10余年も前のこと。新宿某所で、劇団第三舞台の名作「朝日のような夕日をつれて」作・演出 鴻上尚史を鑑賞していたときのこと。芝居もエンディングにさしかかり、「最後の手紙です。」から始まる「みよ子の遺書」を出演者全員が必死に立ち上がろうとして読むシーンで、この楽曲が使われていた(ような気がする)。

 誰かを待ち続ける男の物語、原作「ゴドーを待ちながら」(S・ベケット)を若き鴻上尚史が、「朝日のような夕日をつれて」として見事に昇華させ、1981年に大隈講堂の裏のテントで衝撃的なデビューを果たした後に、何回かのリバイバルを経ての再公演での一幕だった。時は小劇場ブーム華やかし頃、劇団第三舞台は、野田秀樹率いる劇団夢の遊眠社とともに小劇場ブームの先駆け的存在であり、二大双璧であった。

 「朝日のような夕日をつれて ぼくは立ち続ける」の名文句がそう広くない会場にこだまする時、四季の春の第一楽章アレグロが耳に重なる。芝居を観ては近くの居酒屋で飲み明かしたあの頃。根っからの芝居好きだった彼らは今頃どこで何をしているのだろう。そしていつの間にか、この曲を耳にするときは、いつでも「朝日のような・・・」のフレーズが耳の奥に再現されるようになった。なぜか「みよ子の遺書」を暗唱し、世代こそひとつふたつ違うものの、学生時代の、鴻上尚史が言うところの「渇き」に共感していたあの頃を思い出しながら・・・。

 藤沢某所でレモンの風味が豊かなバーボンカクテルを飲みつつ、某氏たちとの「うまいもん」の話に耳を傾けつつ、そんな昔の情景に涙腺を緩ませ、それを悟られないように、まだ完治しない風邪のせいにしたりする夜は、静かに、そしていつものように更けていくのだった。

 あれから何度目の春を迎えようとしているのだろう・・・。

おしまい

参考資料 「朝日のような夕日をつれて」第一戯曲集 鴻上尚史 弓立社

目次へ    HOME

Copyright (C) 2003 Yuji Nishikata All Rights Reserved.