極上寿司を巡る冒険 (2003/07/24)

 
 某日、わが寿司人生において世界新記録ともいうべき寿司を頂く機会に恵まれた。その店は中野にある。すでに各メディア等でも大きく取り上げられているその店は、噂に違わず最高の寿司を食べさせるお店だった。店の名を「さわ田」という。座席数は貸切のため6(通常は5席らしい)。スキンヘッドの若きご主人が一人で切り盛りされるその店は、カウンター席だけの、かつてないほどの小ささであるが、茶道のお茶室にも通じる居心地のよさがあった。営業時間は、18:30からと22:00からの二回転のみで昼のランチはない。メニュはおまかせ。江戸前寿司である。そしてお寿司屋サンには必ずあるはずのネタケースはなく、客はその仕事振りをつぶさに拝見できる仕組みになっている。手際のいい身のこなしと、清潔感溢れる仕草。道具類の配置のよさと色合いの妙。この若き職人の美しいまでの心意気が、ここにある。この瞬間、日本で入手できる最高の食材が、(それは某高級有名店と同じ仕入れである)、新調された氷式の冷蔵庫でその出番を待っているのである。

 寿司という日本の伝統文化を、最高レベルで達成する食材と魂と技がここにある。例えば鮑。手のひら大の大きな鮑を客の目の前で6分割する。それはあたかもシフォンケーキを切り分けるがごとく。ご主人によれば、鮑は包丁を入れた瞬間に最高の香りを放つという。通常は、切り分けてから客の前に差し出すまでの間にその香りが消えてしまう。せっかくの鮑の醍醐味を味わうために、どうすればいいのか。試行錯誤された結果がここにあった。一仕事加えられた鮑をぼてりと大胆に切り、そのまま客に出す。客はケーキのような鮑を手でつかみ取り、おもむろに食いちぎる。すると、全く抵抗を感じることのない柔らかい食感とともに、鮑特有の磯の風味が鼻腔を満たしてくるではないか。最近、幸運にも鮑を巡る冒険を体験していたが、(しかもそれは最高の感激だった)、こんな鮑に出会えるとは思ってもみなかった。鮑の限りない可能性に脱帽とともに、想像を遥かに超える鮑を出してくるご主人の魂に心は振るえるのみだった。客に出来ることはただ一つ。鮑を頬張り、そして笑うしかない。

 例えばイカという寿司屋の大定番のネタがある。しかし普通のイカではなかった。意図的に熟成させたイカ。粘り気のある食感が、イカの概念を大きく変える。例えば、カツオという食材がある。普通は、トロよりも低く見られがちなこのサカナは、その持ちうる最高のポテンシャルを自身に秘めたとき、トロの後に出さなければならないほどのうまみを発するのだった。そしてカツオはニンニクと絶妙なコンビネーションを発揮する。その組合せを熟知するご主人の入魂の一品を食すると、もう笑うしか手立てがないのである。客として、しいてするならば、特選の磯自慢を飲み干すくらいだろう。これもまた絶品であった。

 握りは、上から見るとメスライオンのような井出達である。メスライオンは横から見ると大きくてたくましいが、真正面から見ると意外にスリムな体つきをしているものだ。そのスリムな体つきと、寿司がダブって見える。獲物を見つめ、今にも走り出さんとするメスライオンの勢いのある闘争心とこの寿司ネタがダブって見えるのだ。こんな凄い寿司は未だかつて見たことも食したこともなかった。凄すぎるかもしれない。

 仕事の合間に、冗談交じりに小粋な会話を楽しむ店内。しかし、ひとたびシャリに手をかければ、職人の鋭い目つきと強烈な集中力が客の目を指先にひきつける。そして客に差し出すときの自信に満ちた笑顔。ネタはどれもが獲物を狙うメスライオンのごとく。箸で頂く寿司の寄るべき道は、おろしたての極上本わさび
(ほんまもんのわさびは、なぜかあまいぞ)か、酢橘か、塩。醤油の出番はついぞなかった・・・。ここに寿司がある。そしてその入魂の寿司を口に運んだ瞬間に、寿司史上最高の驚きと感動が待ち受けている。食に魂を込めた「美」に心震えずにはいられないのである。

 今こうして、「さわ田」の寿司を思い返すとき、ネタよりも先にご主人の鋭い目を思い出す。仕事振りを思い出す。最高級の食材を自身の魂によって寿司へと代えていくご主人の指先が忘れられない。この感覚は、大銘醸のブルゴーニュワインを飲んだとき、潤む涙を隠しつつ、そのワインを造ったヴィニュロン(造り手)の表情を思い起こす瞬間に似ている。凄い。凄い経験をさせてもらって、何とも感動なのである。大感謝である。

 ちなみに、会計も寿司史上最高額(自分調べ)であったが、なぜだか、安いと思わせるところがまた楽しからずや。私の寿司人生を大きく変えることになる「さわ田」との出会いは、きっと私の生き方をも大きく揺さぶるにちがいない。もう一度食したい。しかし、ご多分に漏れず予約は一杯で、なかなかおいそれとは行けないが、「さわ田」での食事を待ちわびる日々もまた、食べてるとき以上に充実するから不思議である。


おしまい


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