第三舞台 '81-'91 (2003/09/21)

 
 某日、大森さん(仮名)宅でシャトー・ド・プレモーの2001年ブルゴーニュ・オート・コート・ド・ニュイの試飲を終えた後で、ひさしぶりに演劇の話になり、なつかしのビデオを鑑賞することにした。ビデオを見ながら、その昔、頻繁に紀伊国屋ホールやら青山円形劇場やら、本多劇場やら、Bunkamura(ん。ここは数年前かも)やらスペース・ゼロやらに通った日々が懐かしく思われた。当時の二大劇団は野田秀樹率いる劇団夢の遊民社と鴻上尚史率いる第三舞台だった(自分調べ)。今から10年以上も前の話だ。(ちなみにはじめて鑑賞した芝居は、若かりし大森さん(仮名)に連れられて円形劇場でみた劇団青い鳥の「おいしい水」(そんなタイトルだったと思う)だった。)

 で、第三舞台の '81-'91の総集編的ビデオを見る。踊る2などで大活躍の筧利夫や金太郎シリーズの勝村政信など、今ではテレビや映画でおなじみの顔ぶれが、若々しい姿で並んでいる。当時は小劇場ブームがものすごく、人気劇団の芝居には当日券を求めて徹夜組も出たほどだった。機関銃のように喋り捲る台詞は、時に複数の人間によって同時に発声され、小気味よいダンスと大音響が広くない劇場を支配した。ところどころに笑えない笑いと笑える笑いが織り込まれ、観客はその第一声からシリアスとコミカルの同時進行による独特の小空間に引き込まれていったのだった。そして今、照明のオンオフを使いこなして闇の世界(暗転シーン)を作り上げ、競りあがる舞台など、当時心を振るわせた場面場面が10年の歳月を経てお茶の間のテレビ画面から溢れ出ていた。みんな(役者も客も)あの頃は若かった・・・。

 演劇は、本来は形に残らない。ワインと同じく消えもの系のエンターテイメントだ。現場の躍動感と臨場感は、そこにいた者としか共有し得ず、映像による撮影はその一部分を切り取るに過ぎない。ビデオに残すことを嫌ったのは、鴻上本人だったと記憶しているが、久しぶりに当時の映像を総集編的に見ると、実際にその場で体験した場面を細かく思い出し、芝居の後に飲んだお酒のほろ苦さを思い出したりもする。傑作の後ではその衝撃から誰もが感想を漏らせず、駄作の後では酒が妙に進んだあの頃の風景が、懐かしく思われる。今になってみればビデオも、これはこれでいいかも、である。

 ところでビデオの中で「宇宙で眠るための方法について・序章」の一場面が心を揺さぶった。それは、好きなAのために、自分を犠牲にし、相手の好みにすべてを合わせるBの立ち振る舞いを、好かれたAが拒絶する場面だった。BはAのことを愛しているといい、愛されたAはBと別れたいという。別れないためには自分を捨てて何でもするというBに向かって、Aは声を荒げる。「それは愛じゃない。そんなのは暴力だ。(要旨)」

 別に私はストーカーではないが(自分調べ)、当時まだストーカーという言葉が出ていなかった頃に(ん。出てたかな)、ストーカーの心理を一言で言い当てる台詞の重みにちょっとした衝撃が走る。愛と暴力は紙一重なんだ。当時は劇場で聞き流していたはずの台詞に今更ながら、共感を覚えたりもしたのは、ブルゴーニュ・オート・コート・ド・ニュイに酔ったからだけではあるまい。

 小劇場の存在が東京と地方を分けていた。小劇場という狭い空間で極限られた人間による極限られた人間のためのエンターテイメント。その限られたチケットを求めて日本全国から人を呼ぶ集客力に、今更ながらブルゴーニュワインとの共通点を見出したりする。まずは第一位にそこに感動があり、第二位に限定されているということ、だ。芝居もブルゴーニュワインもそこを共通している。今のブルゴーニュ魂と同じ何かが、この頃に培われているとしたら、ちょっとまんざらでもないと思う夜だったりした。

 酔ってるのかな。何でこんな話書いてるんだろう・・・。


おしまい


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