カレー丼 (2004/01/10)

 
 今、話題の吉野家のカレー丼を有楽町で食べてみた。

 ご飯の量が牛丼の並と一緒で、具が牛肉の代わりにカレーになったこのどんぶりは、やや甘口のテイストながら蕎麦屋で出されるそれの味に近く、まあまあ普通の味わいだった。ただスプーンではなく、蓮華で食べさせるために、舌で吸い付くように食べないとカレーとごはんが蓮華に残り、妙な感じを受けざるを得ないが、まあまあ予想通りの味わいといえば言えなくもなかった。しかしココ一番のカレーに慣れている者として、このカレー丼は急ごしらえの感は否めず、400円の価格設定は牛丼280円に慣れたものとしては、割高感を感じるたりする。そしてカレー特有のあの余韻ではない残存感に、店を出て山手線を乗った頃でも延々と続く口に残るカレーっぽさは閉口に値するかもしれない。歯をみがくか、ガムを噛まずにはいられないような気がしないでもないところが辛い。(メニュにガムを追加したら、きっと売れるに違いない)

 しかし、である。学生時代から280円時代に至る今日までの長い歳月、私は吉野家に相当世話になっている。一杯280円の牛丼にいくら救われたか知ることも出来ない。BSEという同社再建以来最大の危機に直面し、苦境の選択を虐げられている吉野家に対し、「カレー丼はいまいちかも」といった発言は私には、出来ないのである。

 「昔、世話になったんだろ」と耳元で誰かが囁いている。

 そう、BSE危機を単なる傍観者として見過ごすのではなく、積極的に店に貢献して、共に脱却したいと思うのは、長年お世話になったものとして当然のような気がしてならない。恩を仇で返すことなど私には出来ない。牛丼史上最大のピンチは、カレー丼や鳥そぼろ丼などを食べ続けることによって乗り越えられる、と信じたいではないか・・・。牛丼を巡る冒険は、「旨い・不味い」の問題ではなく、義理・人情の世界のような気もしないでもなかったりする。

 それにしても夕方の有楽町店はサラリーマンたちなどで、満席だった。7割方は牛丼を食べているようで、何人かと来ている人たちはビール飲みつつカレー丼談義も盛り上がっていた。中島みゆきも歌った吉野家。日本人の、特にサラリーマンの主要なごはん、牛丼の今後に、積極的に注目していきたいと思ったりする1月の東京なのであった。
 

おしまい


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