「東京 ハッピー・レストラン」 (2004/01/14)

 
 旅先の夕飯時、例えばホテルのフロントマンやタクシーの運転手さんに、「このあたりでおいしいお店ありますか」と尋ねて、実際そのお店がおいしいお店である確率は、博多を除き、そうは高くないと思う。確かに推薦されるだけあって、そこが不味いお店だったことはないが、各自の好みや傾向などが微妙に異なることも多く、「まあ、悪くないけど。二度目はないかな・・・」的なお店が多かったりした(自分調べ)。(博多は決して外さない、すばらしい街である)

 ところで、その旅先が東京だった場合はどうだろう。私自身は、東京までの通勤圏内に住んでいるので、「旅先が東京」になることはなく、御飯時においしい店を見知らぬ人に聞くことはないが、「無駄飯・無駄酒」の回避を人生の最大級のテーマとする者として、おいしいお店については常に敏感になっていたいと思っている。

 食の都 大東京でおいしい御飯を食べるには、ホテルマンや駅員さんに尋ねるよりも、食通の友人を多く持ち、「食」のネットワークを構築するか、市販されているガイドブックに頼る方が近道だろう。しかし「食空間」を共有できる友人というのはそれほど多くはなく、巷にはガイドブックなる本は溢れかえっているが、それらが単なる宣伝の本なのか、真のガイドブックなのかの見分けもつきにくく、今ひとつ使い勝手も悪いというものだ。

 そこで私は、過去に自分が行ったことのある「お店」を評しているフード・ジャーナリストの意見に耳を傾ける。私の実際の感想と彼らの記事を照らし合わせ、違和感を覚えるジャーナリストが薦めるお店には決して行こうと思わないが、一方で、ある意味共感を覚えるジャーナリストの推薦店には、ちょっと行ってみようかと思うのだ。

 ということで、私が親近感を覚えるジャーナリストのひとりに、犬養裕美子女史があげられる。レストラン・ジャーナリストを名乗る女史は、食べもの系雑誌への登場も多く、最近では雑誌「東京カレンダーMOOKS 東京情緒食堂 冬の煌き」の特集「食シーンを席巻する、10人の最注目料理人」において「Les Créations de NARISAWA」と「鮨さわ田」の記事を書いていて、特に「鮨さわ田」のそれには、かなりの感銘を受けたりしていた。「鮨さわ田」をして「たった一人だからできることがある たった一人にしかできないことがある」(P074より引用)と評させると、むむむ、さすがプロの文章と賞賛せずにはいられない。女史とは、食に対する視線が同一のような気がして、女史の勧めるお店に俄然注目も集まるというものだ。

 ところで女史は昨年末に「東京 ハッピー・レストラン for Ladies」(マガジンハウス刊)を上梓した。犬養式チェックシートをもとに評された東京の110店のレストランが紹介されている本である。他者からの評価も高く、良店と呼ばれるレストランが、ジャンル別に並んでいるので、ペラペラめくっていても面白い本である。書ではレストラン選びの目安のひとつとして、女史は、四葉のクローバーになぞらえた評価もしている。4葉が最高で、「鮨さわ田」は2葉、「ロンフウフォン」は3葉、「Les Créations de NARISAWA」は3葉等々である。

 満点の4葉評価のお店は多くはないが、そのお店が個人的には非常に気にかかる。女史が満点をつけるレストランとは、どんなレストランなのか。あのロンフウフォンをして満点にしない女史が、なぜにそこには満点をつけたのだろうか。(これは、今でこそ冷ややかだが、ワイン評論家のロバート・パーカー氏が100点満点をつけたワインに注目が集まるのと同じ性のような気がする・・・)。そして日が経つにつれ、そんな思いは募るばかりとなる。

 そこで年が明けた某日、数少ない4葉評価のひとつ「オー グー ドゥ ジュール Au goût du jour」に行ってみた。お店は都心にあり、某テレビ局のすぐそば。ランチにお邪魔したが、ほぼ満席状態であった。そこは、「なるほど」と思わせるに十分なお店だった。行き届いたサービスに、家庭の延長線上にありそうなハッピーな料理は繊細で、かつ細かい配慮が施されていて、とても居心地の良い空間だった。特に一皿目の下拵えの違う野菜のテリーヌは、絶妙においしかった。それはとても癒される感じ、なのであった。そして暖色系のイエロートーンの装いも目に優しく、穏やかな東京の少しリッチな午後を演出してくれていた。そう、ここは女史推薦の通り、とてもいいレストランだったのである。

 しかし、私はここが「ぶるたま式チェックシート」(そんなものあったかな)によれば、満点評価のレストランにはならないことも確認してしまった。理由はふたつ挙げられる。一つ目はワインリストが、ワイン好きにはかなり淋しげで、料理も楽しみたいが、(ブルゴーニュ)ワインも楽しみたいという欲張りの私には物足りなさを禁じえなかったのだ。(しかし2000円の持ち込み料を払えば、好きなワインを持ち込めるとのことなので、この点は自身で解決も可能かもしれない・・・)。そういえば犬養式チェックシートを隈なく見れば、ワインに対する項目はコストパフォーマンスを重視しており、ワインリストの内容に関してはレストランの評価を左右するものではないと読み取ることも出来る。

 そしてふたつ目の理由として、フレンチレストランにサプライズを求めるものとしては、同店の最高レベルながら家庭料理的な安心感が、逆に「ハレの日」とは違う印象を持たせるのだった。「意外に普通だった」的なのだ。これは推測だが、女史のように毎日外食をしていれば、気も体力もサプライズする料理よりも、「オー グー ドゥ ジュール Au goût du jour」のような優しい家庭的な味わいの方が、居心地もいいのだろう。通いつめればつめるほど、サービスの人たちとのコミュニケーションも図られ、居心地はますますよくなっていくことだろう・・・。ビックリするような料理ばかりを毎晩食べていても、サプライズに対して麻痺もあるだろうし、またサプライズ系の料理は自身の体調が悪いと、根負けすることもしばしば。その点このお店は、親父さんたちにとっての赤提灯を思わせる「帰って来るお店」的な安心感があり、疲れた夜にふと馴染みの店で安心の御飯が食べたくなるその気持ちは、大いに分かるというものだ。フレンチレストランにハレの日=非日常を求めるのではなく、日常の半歩だけ非日常側を意識すると、このお店は、かなり面白いかもしれない。

 同店の例を見るまでもなく、女史のお勧めとブルゴーニュ魂を標榜する私のお気に入りレストランには、かなりの親近感を見せるものの、微妙な差があることがわかった。よくよく考えれば、犬養式は絶対ではない。書き手と読み手の個人的な思惑や感想の「差」はあって当たり前である。犬養式を鵜呑みにして、女史との感性の差を嘆くよりも前に、女史の好みを知った上で、レストランを選ぶなら俄然このガイドブックは参考になると思う。

 ガイドブックはお店の紹介ではあるが、本書のようにそれを紹介した人に注目すると、今までとは違った楽しみに接することが出来る。どのお店が自分にとってのハッピー・レストランか。本書をペラペラめくりながら、自分の感性を頼りに、楽しいひと時を過ごすのも新しいレストランとの付き合い方かもしれない。

 いずれにしても、私の経験と照らし合わせても、まだ見ぬハッピー・レストランが、この本の中にあることだけは間違いはない。あとは自分自身でどう読み解くか、だ。すべてはおいしい食空間のために。そのために、本書を大いに利用してみようと思うこの頃だったりする・・・。


おしまい

余談 : この本に登場するお店をいくつか回ると、ある共通点を発見する・・・。それがなんであるかは、行ってのお楽しみ、かな。


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