「女ひとり寿司」 (2004/05/05)

 
 某夜。いろいろあって言い知れぬ孤独と焦燥を感じていた夜のこと。ゴールデンウィーク中ということもあり、深夜の東京駅は閑散としていて、いつもの混雑様とはかなり違った趣があり、そのためか一層の違和感を覚えていた。まばらに埋まった席には結婚式帰りの新婦の友人や、この人は今の今までいったいどこで何をしていたんだろうという素面のおじさんたちが会話のひとつもせずに適当な間隔を置いて座っていた。

 この言いようのない孤独感は、いったいどこからやってきたのだろうか。さっきまで某所で大いに喋り捲っていたのに、ふと振り向いた瞬間から襲ってきた孤独感に、今回ばかりは押しつぶされそうな気配だった。「トップを張る人は皆、孤独なんだよ」という某氏の言葉を思い出しながら、いまだトップにあらずの焦燥が、この孤独を呼び込んだのだろうか。なすすべもなく、ただひたすらに孤独につつまれ、私は無性に酒が欲しくなった。すがりたい酒を探しても、深夜の東海道線のホームのキオスクはすでに閉店していて、あと何本か後の最終電車がその夜の出番を待っているだけだった。我が家に着けば、酒はある・・・。いや、ない。お気に入りの芋焼酎は数日前に飲み干していたはずだった。どうやら自宅手前のコンビニで安酒を買うしか手立てはなさそうだ。しかも走り出したばかりの電車には、しばらく揺られなければならない。新橋で下車してエスト二号店に寄るほどには時間はなく、藤沢で熟成したラム酒を楽しむにも深夜のタクシー代が馬鹿に出来ない距離に、途方も暮れたのだった。しかし、一方で酒に溺れてはいけないと自戒の念も孤独の陰に隠れてはいるものの、僅かながらに残っていた。

 私はカバンから買ったばかりの本を取り出して、読書によって孤独を回避しようと試みた。それが表題の「女ひとり寿司」湯山玲子著 洋泉社刊 だった。このエッセイ集は、女性が一人で訪れるにはまだまだ抵抗がある高級寿司屋に果敢にも一人で訪問し、そこで繰り広げられている食空間を大胆なタッチで、編集者らしい現代風刺的な比喩と緻密かつ形容詞化する固有名詞の数々を織り交ぜながら展開する壮大な物語だった。

 この本で紹介されている高級寿司屋は、すでに何人ものフードライターによって記事にされ、どの雑誌を読んでも同じお店が紹介される違和感に閉塞感すら感じていたのだが、彼女の新しい視線からの展開には、抱腹絶倒系もあれば、ふむふむふむと納得系の逸話も多く、久しぶりに我を忘れて本に没頭したりした。そういえば巷のグルメ本は、職人さんの経歴や料理についての解説はあっても、そこ集う人たちの人間模様(推測)までは描いていなかったような気もする・・・。

 この本は、実に面白い。実際に「鮨さわ田」など自分が訪問したお店を思い起こしながら、車中ゆえにぎぁははと大笑いしたいのを堪えつつ、その代わりに目じりからこぼれる笑い涙を拭う指も濡れるというものだった。たとえばいつものメンバー(大森さん(仮名)含む)とおいしいごはんを食べつつ、サービスの人たちと交わす会話のシーンを思い起こしてみると・・・。隣のテーブルに座った同伴系カップルの女性の体がどうやら私たちのほうを向いてしまっていて、彼氏または血の繋がっていないパパさんとの会話も絶え絶えに、こちらのおいしいもの談義に耳を寄せている風景が浮かんだりするのだった。お洒落に話題のお店に誘っても、隣のテーブルのおいしいもの談義に彼女の視線を奪われてしまっては、かわいそうだと思いつつ、こればかりはやむを得ないと思ったりした。どうやらこちらの話のほうが面白いらしい・・・。間違いない。

 とにもかくにも著者は、私を含め、いつものメンバーと同じ視線でお鮨を食べているかもしれない。きっと仲良くなれるに違いないと思いつつ、40代女性の、口は悪いが勢いのあるタッチに我を忘れて読みふける。ついさっきまで感じていた孤独感やら焦燥感やらはすっかり眼中から外れ、あははと苦笑する自分になんだかなあと思いつつも、無性にお鮨が食べたくなったりするのであった。

 この本は落ち込んだり、壁にぶつかったり、なんだか前進できない心境の時に読むと、意外な突破口が開かれるような気もして、かなりお勧めの一冊かもしれない。鮨好きにはもちろんのこと、高級鮨未体験者にも、孤独を感じた人にも、ぜひお勧めしたい。そして実際に鮨を食べに行こう、である


おしまい


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