不幸の始まり (2004/08/26)

 
 レストランで、不幸が私を襲ってくる。

 最近、家の近所のブラッスリーによく通わせてもらっているが、ここのサービスは大変すばらしく、レストランで食事をすることの楽しさをしみじみと実感できるからありがたい。某グランメゾンで築きあげられたサービスの極意が、カジュアルなお店にして最良のタイミングで、くどすぎず、ほったらかされすぎずの絶妙な距離感をもって接客してくれるから、食べることや話すことが楽しくなるのだ。

 しかし、この接客サービスがどこでも得られるかというと、人生そんなに甘くなく、このレベルの接客を数えるならば、枚挙に暇がありすぎて(注)、なんだかとても寂しくなったりする。ここのサービスを基準にすると、他店でのサービスではちっとも心が安らがなくなるからだ。余計な一言が気にかかったり、理論に基づかない行き当たりばったりの対応は、すぐに化けの皮がはがれ、おいしい料理を共有したいのか、ただお金を払うやつがやってきたくらいにしか思われていないのか、そう思ったり思われたりすると、なんだかとても寂しい。

 最高のサービスを身近に、そして何気なくされると、心が安らぐが、そうされないと途端に居心地も悪くなりやすく、あのサービスをよそで求めるのは酷だよと自戒しつつも、一度体で覚えた心地よさは、なかなかに不器用になるから、どうしたもんだろうか。

 すでに不幸が始まっている。最高の接客サービスと引き換えに、今までは気付かずに済んでいた適当な接客に苛立ちを覚えている。接客は人と人との関係に重きを置かれているので、感じ方は人それぞれ。そこに明確なボーダーラインはなく、同じお店で同じ人に接客されても、自分精神状態によっても、その感じ方はそれぞれになるだろう。どちらかが不機嫌だったり、時間に追われていたり、体調が悪かったり・・・。杓子定規的な、マニュアル的なサービスならばそんな微妙な変化に気付くこともないが、心からのサービスは、そんな状況も察知して、程よいサービスが展開されるから凄かったりする。

 心地よいサービスとはなにか。最高のそれを知ることで、新たなるワールドが開かれるが、それを知ったことで既存のワールドがうすっぺらに思えてくる。最近はやりのレストランでは、サービス出身のオーナーがその魅力たっぷりの接客サービスでお客をひきつけているようだ。麹町某店や白金某店など、どちらも大変繁盛している。「あ・うん」の呼吸というのか、レストランとの絶妙な関係を築くことが出来ると、外での食事がより一層ハッピーになるし、そしてそれと引き換えに、多くのレストランではハッピーになれていない自分に気付く、この頃だったりする。

 接客って難しいなあ。。。
 
注 それでも数えると結構ある。列挙すると、名前を挙げないことでいろいろありそうなので、割愛しよっと(笑)。
 
おしまい

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