「ハウルの動く城」 (2004/11/25)
 
 「千と千尋の神隠し」から3年。待望の宮崎駿監督作品「ハウルの動く城」が先週より封切りされた。

 前作の「千と千尋・・・」があまりにも強烈な印象を残したために、とかく「ハウル・・・」をそれと比較して論じたくなるのは、気持ちは分からないでもないが、個人的には少し違うような気がしている。巷から聞こえてくる噂のように、世紀の大傑作「千と・・・」と比べると、今回の「ハウル・・・」はどうしても部も悪くなりがちで、それはレオナルド・ダ・ビンチの「最後の晩餐」か「モナリザ」をダ・ビンチの他の作品と比べて、どうのこうのというのに似ており、冷静な判断は、世紀の大名作とは次元を変えて評論した方が面白そうである。個人的には前々作の「もののけ姫」やテレビアニメの「赤毛のアン」との共通項が多いと感じつつ、宮崎ワールドに共通する戦争反対のメッセージと、主人公たちの「愛」を素直に読み解く方が、この映画を楽しめそうである。

 この映画は、設定が難しい。特に主人公のソフィが荒地の魔女にかけられた魔法から解き放たれるタイミングの解釈が難しいと思う。個人的には魔法を解く鍵は、「○○」(一応伏字にしておこう・・・)の強弱と解釈するが、その場その場による力加減が、一度観ただけでは分かりにくく、二回目にその点に注目して観賞するなら、「なるほどね」と思わせてくれるところが面白かったりする。

 私は「ハウルの動く城」を名作と呼んでいる。町の風景は、フランスの片田舎(アルザスが舞台の参考になったようだが、パリの裏道やピュリニー・モンラッシェ村の古びた家屋にも似た風情を感じる)を思い出させつつ、ドラゴンクエスト(以下ドラクエ)とファイナルファンタジー(以下FF)のゲームと共に育った世代には、テレビ画面に釘付けになったそれらの映像美と、今回の「ハウル・・・」の設定に共通点を探しまくり、それらの影響が宮崎ワールドにも浸透しているのかと思うと、今までとは違った感慨にも襲われたりする。(もちろんルパン走りも健在・・・です)

 コントローラーのないドラクエとFFのミックスバージョンを宮崎駿風に映画化した感じを楽しみつつ、どこがドラクエで、どの場面がFFかは、まだ見ていない人に申し訳ないので触れることはできないが、映画の場面場面で登場する風景のひとつひとつに、どこかの記憶が重なったりするから面白い。また「アルプスの少女ハイジ」や「未来少年コナン」の風景も絶妙に思い出されながら、やはり宮崎ワールドにどっぷりと浸る様は、ちょっとした快感なのである。

 悪魔がたくさん登場する今回の作品であるが、最後の最後に明かされる主人公のソフィも実は○ス魔だったことが、なんだか妙に心に残りつつ、アニメとは思えない映像や音、場面の切り替えやストーリー展開に、またもう一度映画館に足を運びたくなるから不思議だ。

 そしてしばらくは、低音での「待たれよ」の口癖がマイブームの予感も漂ったりしている・・・。


おしまい


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