「ガセネッタ & シモネッタ」 (2005/04/04)

 
 米原万理著「ガセネッタ & シモネッタ」文春文庫が面白い。

 この本は、ロシア語同時通訳者の著者が、通訳という仕事を通して経験したエピソードがコミカルに、特に真剣に書かれたエッセイ集で、先日のコペンハーゲン経由のフランス旅では、「旅のお供に」その威力を大いに発揮してくれたものだ。逸話それぞれがとても知的で、面白く何度読み返しても笑いが込み上げてくる名著であるが、次に紹介する話は、日本の国際化を謳う上で、なんとも違和感を覚えたりした。

 それは、サミットにおける同時通訳のルールについてだった。毎年開かれるサミットは、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、ロシア語、日本語が用いられる国際会議だが、なんと驚くべき事実がこの本で紹介されているのだ。たとえば、フランスの大統領の発言は、そのまま各国の言語に同時通訳され、情報を瞬時に共有化するのだが、日本語はさにあらずで、フランス語が一度英語に訳されてから改めて日本語に通訳されるという。日本の首相の発言も、日本語から直接に各国の言語に通訳されるのではなく、一度英語に訳されてから、その英語が各国の言語に訳されるという。日本以外の参加国は、お互いの言葉をダイレクトに訳し合うのに対し、日本語だけは英語の紐的な存在で、英語というフィルターを通して、情報が伝達されているというのだ。第一回のサミットから2000年の九州・沖縄サミットでもこの方式がとられたという。(同書では2001年以降については発売の関係から不明)

 これってありえないことだと思う。

 完全に日本語が英語の傘下に入ってしまっていて、ただでさえ微妙な言葉のニュアンスの翻訳は難しそうだと想像するにつけ、英語的な解釈が各国に伝えられているのかと思うと、かなりゾッとする事実だろう。日本が国際社会において、英語圏にぶら下がった状態であるのは、まことに不愉快な話で、最近は日本国の国連常任理事国入りが話題に上るが、まずは日本語からの直接的な同時通訳を実現しなければ、いつまでたっても日本は独立国家としてみなされないのではないかと、妙に不安になりつつ、この一件を通して、日本の戦後はまだ終わっていないんだなあと思うと、妙に情けなくなってきたりするから不思議だ。

 おりしも教育テレビの語学番組も新たなスタートを向かえ、これから長岡ナターシャさん目当てに、ドイツ語に勤しもうとするものにとって、この違和感はちょっと拭えそうにない。それより、フランス語をもっと勉強しなきゃ、という説もあるが・・・。

 いずれにしても、この本はかなりいけているので、ぜひおすすめの一冊である。


おしまい


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