ラーメン怖い? 2 (2005/05/18)

 
 先日、小腹がすいたので、コンビニでビールでも買いつつ、久しぶりにカップラーメンでも食べてみようかなと思って、売り場の前に立ってみた。今話題のラーメン店主を前面に出したものや、昔ッからあるものまで、いろいろなパッケージが並んでいた。どれにしようかな。この手の食べ物は今年になって初めて、というより最後にいつ食べたのか思い出せないくらい前なので、新製品を二つ三つまとめて食べてみようかなと思ったりした。

 う。

 お洒落なパッケージのカップめんの原材料が記載されている小さい文字を見つつ・・・ケミカルだなあと思ってしまってから、急速に食欲は萎えてしまった自分に気がづいた。う。ケミカルだ。濃い目の味付けに、なんだかしらないあの独特の残存感を想像すると、ぱたりと私の右手は硬直してしまったのだ・・・。で、結局は何も買わずに(ビールも買うのを忘れてしまった)、軽く立ち読みだけして店を出てしまった。

 なんだか、食べ終わったあとのあのケミカル感が、どうしようもないほど私を襲ってきては、あの違和感に耐えるなら、空腹のままでいたほうが、ヨサゲだと思えてしまったのだ。家で御飯に納豆かけて食べるか、適当な大きさに切って皮を剥いた大根を齧るかしたほうが、おなかにも心にもよさそうだと思ったりした。昔は平気でカップめんを食べて、あるときなどはお湯を注ぐだけの焼きそばにマヨネーズをぐちゃくちゃに混ぜて、嬉しそうに食べていた頃が懐かしく思われた。あれから確実に5年は経っているなあ・・・。

 ところで、先日、雑誌の編集者と話す機会があり、その人は自然食系御飯の編集に携わっていたらしいのだが、こんなエピソードを話してくれた。それは夜食の話だった。その人の同僚たちは、深夜まで有機野菜云々の記事を編集しつつ、夜中にカップラーメンだかを食べていたというのだ。もう少し歩けば自然食のお店があって、そこは夜食にも夕食にももってこいらしいのだが、近いという理由だけで、近所のケミカル系のご飯を食べてしまうのだという。ケミカル御飯を食べながら編集される自然食の雑誌・・・。うーん。微妙だなあ。結局、その人はその多いなる矛盾に耐えられず、職場を去って新たなる編集に携わっているらしいのだが、このエピソードをもってしても、日常生活にあまりにも広く、深く、溶け込んでしまったケミカルの力が、自然のままのおいしさ(それは時にとてつもなく薄い味わいになるが・・・)を忘れさせてしまっているのかと思うと、急にぞっとしたりもする。

 自然食やワインに限らず、一度、天然の、自然のうまみを知ってしまうと、それは日常生活を見渡すと四面楚歌状態になっていることに気づき、それ以外の食事への関心が急速に萎えていくのが手に取るように分かったりもする。ケミカル全盛の時代をどう生き抜くか。カップラーメンの原材料に目をやるなどの、ふとしたことがきっかけで、コンビニで買うものがなくなっている現実に直面しつつ、しかしどんなにケミカル食品だろうとも某海洋堂のおまけがついていたなら、そんな原則は無視して、大人買いしまうことが容易に想像できる自分に大いなる矛盾を感じつつ、もう私がカップラーメンにお湯を注ぐ日は、災害がない限り、こないのかなあと思ったりもする。

 カップラーメン怖い?

 だから自然派ワイン・・・なのだけれど・・・。


おしまい


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