立ち食い蕎麦も怖い ? (2005/05/28)

 
 先日、JR品川駅の構内にある立ち食い蕎麦屋さんで、かけそばを食べた。

 その日は、夕方で、まだおなかは減ってはいなかったが、これから深夜近くまで、何かモノを食べる時間はなさそうで、とりあえず今後のことも考えて、そばでも食べておこうかという気になったのだ。時間的にも切迫していて、5分くらいしか時間も取れず、そんなときに立ち食い蕎麦はとても重宝だったのだ。

 店外の自販機で買った食券を、おばちゃんではなく、推定20代の女性に渡しつつ、コップの水を飲んでいる間に、早速そばは到着し、ずるずるずると一気に食べ進めたのだった。やはり何かおなかに入れて正解だ。これで落ち着いて、これからの案件に挑めるぞと思って、山手線のホームを目指すところで、ふと私をいつもの残存感が襲ってきたのだった。

 う。お蕎麦もやっぱりケミカルなのね。

 化学調味料で味付けを調整したと思われる、あの余韻とは程遠い残存感が口の中を圧倒的に支配し、気色の悪い違和感が私を襲い続けるのだった。関西人が東京にやってきてまずビックリするのはおそばの濃いおつゆの色だと聞くが、最近の私を悩ませるのは、そんな濃い目の色合いよりも、いつもの化学な残存感なのであった。なんでもみんな平気な顔してケミカルなそばを食べていられるのだろう。口にあるうちはうまみを感じる濃い味付けが、日本人の多くには必要なのだろうか。

 ううう。駅の立ち食いそばよ、おまえもか。

 うまそうにおそばをかっ込んでいる人たちを遠くから眺めながら、なんだか自分だけが他の人と味覚が違ってきてしまった事実を受け止めつつ、東京のど真ん中で、食に関して「孤独」を感じたりするのだった。何で昔はうまそうに食べられたのだろう。明らかに私の最近の食生活が、自然の素材重視に偏重しつつ、そんな自然の素朴な味わいにうまみを覚えてしまったものにとって、巷にあふれるほとんどの御飯が食べられなくなっていく事実は、悲しさを伴いつつ、日本人の食生活が崩壊していることを、余計なお世話ながら感じ入るのだった。


おしまい


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