とんぼが死んだ日 (2005/05/30)

 
 当コラムには、たくさんのハッピーレストランが登場しているが、今日では、そのときの様子とだいぶ変わってしまったお店が増えてしまい、ハッピーレストランの旬の短さに、寂しい風も吹いたりしているこの頃だったりする。たとえば、平塚某所のさぬきうどん屋さんは、いつのまにやら焼肉屋さんになってしまい、昔、足繁く通った焼肉店は、看板こそ同じものの、オーナーが変わって、味に衝撃的な変化が起こり、二度と行くことはなくなってしまった。また相変わらず絶好調の築地の某寿司店は、驚異的な行列が出来る店になってしまい、週末の中途半端な時間に行くと3時間待ちの宣告も受けるというから、早朝4時半過ぎには、あの場所にいなければならないプレッシャーを感じる時、少しばかりお店に通いづらくなってしまっている。(早起きするか夜更かしすれば解決するので、これは軽症かも・・・)。また甲府の某店も、その日の食材によっては急激な落ち込みを見せ付けたりもするから辛いところだ。フレンチの某店も移転後は、いろいろあってむにゃむにゃむにゃだったりもする。そして某所から銀座に進出したお寿司屋さんも、かつてのハッピーレストラン振りは完全に影を潜め、ブルゴーニュ魂的には、全く違うお店に変身してしまい、その劇場の幕は完全に下りてしまったのだった。それはあたかも夏の終わりに見つけたとんぼの死骸のような寂しさだった。

 ハッピーレストランって難しいと思う。

 ひとによって何がハッピーで、何がポンポコリンなのかがわからないし、その日のお互いの(お店とお客双方という意味)体調や虫の居場所によっても違うだろうし、食材の入荷状況によってももちろん異なってくると思うからだ。ハッピーレストランからの転落は、お店の移転や、スタッフの入れ替わりや、職人の勘違いや、お客としての落ち度、腹の虫の収まり具合などが複雑に絡み合って、ゆっくりと右肩下がりに普通のレストランに変化するのではなく、ある日突然幕を閉じてしまうものだと思ったりもする。

 友達ならば、「あの時はごめんね」の一言で復活する人間関係も、対お店となると、商売が絡むために修復は難しく、「だったら行かなきゃいいじゃん。だったら来なきゃいいじゃん」モードになりがちで、幸せなひと時の、その短さを体感してしまうと、とても切ない思いを感じるのだった。

 昔、その限られた空間に、限られた期間だけ、とてもハッピーになれるレストランがあった。

 ハッピーレストランってそんな存在なのだろうか。そう思うことはあまりにも切なく、それは長年大切に熟成させていたブルゴーニュの銘醸ワインが痛んでいたり、高価なワイングラスを洗っている途中でポキッと割ったしまった時のような、そんな思いに共通したりするのだろう。

 それでも、スタッフが入れ替わったり、季節が変わったり、新展開を遂げたりするお店の中にもハッピーレストランのままでいてくれるレストランはいくつもあり、御飯をおいしくいただきながら、この瞬間の喜びに集中して、おおいに満喫したほうが、健康にもよさそうで、これぞまさに一期一会の心得なのだろう。

 ある日、とんぼが突然に死んでしまいました・・・。

おしまい


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