おいしいレストランがうまいとは限らない 2 (2005/09/10)

 
 世に、おいしいと評判のレストランや、行列ができるレストランや、予約が取れないレストランや、グルメ雑誌で取り上げられるレストランはたくさんあるが、それらが本当においしいとは限らないと思う。

 例えば、ガトー・ショコラを作らせたら、日本を代表しかねないパティシエが某所にいる。彼が作るガトー・ショコラは、その上質さにおいて、どんな地方からでも、わざわざこれを食べに来させるほどの力を持っているだろう。

 しかし、彼は言う。「私は、甘いものが嫌いなんですよね」

 はじめは、彼お得意の辛口トークというか、ブラックジョークというか、好きな女の子にはその意に反して、意地悪をしてしまった記憶が蘇るような、そんな印象を持ちつつ、笑いながら上質なガトー・ショコラを食べていたが、幾度か回数を重ねるうちに、本当に嫌いなんだということが判明した。最高級のガトー・ショコラにもレシピがあるのだから、味見をせずともおいしいものは作れるのかも知れない。

 彼が甘いものは嫌いだと公言する彼のガトー・ショコラを食べる勇気が、私には見当たらない。

 たとえば、ケーキをこよなく愛する職人が造る普通のガトー・ショコラと、甘いものが嫌いな職人がつくる上質なガトー・ショコラ。どっちがおいしいだろうか。ブラインド(目隠しして)で両者を食するならば、おそらくは後者をうまいと判断するだろうが、後者にはガトー・ショコラにはバックグラウンドがないので、一枚のお皿の上だけのワールドに限られる。その場だけのおいしさ。しかしケーキをこよなく愛する職人が造るそれは、例え今は普通な味でも、職人と接するうちに、お皿の枠を超えた物語を感じることができるだろう。

 「おいしければ何でもあり」の世界観が通用することもあるだろう。商売の世界では、結果が全てなので、ガトー・ショコラに対する愛情の有無は、期待されていない。しかし、ガトー・ショコラを商売のレベルで語るのではなく、食文化のレベルで語ろうとするならば、その愛情は必須だ。それがなければ、機械がつくってもいいのだから。

 果てさて、甘いモノ嫌いな職人に言うべき言葉はないが、愛情ある職人には一言だけ言いたくなってきた。

 「もっとおいしくつくってよ」

おしまい


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