和食とピノ・ノワール (2005/10/12)

 
 いつものコラムも、今回で400回目です・・・。

 ところで、いつものnononaさんでの会に今回はジュブレ・シャンベルタンを登場させ、マリアージュさせる会を開催した。その時に、確信したことをひとつばかり記したいと思う。それは、和食とピノ・ノワールの相性についてだ。

 結論から言えば、和食とピノ・ノワールは、とても相性がよい。山葵の余韻とピノ・ノワールの優しい果実味は、かくも相性がよく、それは森の中のせせらぎを連想させる魅力を持っている。地球の裏側で生まれたワインと東洋の食文化がなぜに合い、そしておいしいハーモニーを繰り広げるのだろうか。

 なぜだろう。

 それは、個人的には、和食がお出汁の美しさを、その存在理由の第一位に挙げているからだと思われる。煮干、鰹節、昆布、干し椎茸・・・お出汁の基はいろいろあるが、そこにピノ・ノワールを加えてもなんら違和感がないところに、そのマリアージュの妙を探ることができると思えてならないのだ。ピノ・ノワールを醸造することによって得られるうまみ成分は、鰹節の発酵や昆布の干し具合にも関連し、微生物が織りなす神秘の世界。そこに日本人の、強いて言うならば、江戸時代に生きた人々の感じるうまみを共有できると思えるから不思議である。

 お出汁の文化を尊重するなら、そこにピノ・ノワールの価値観は共有するものも多く、それゆえに和食とピノ・ノワールの食べ合わせの妙は、人々の、というよりもそのおいしさを共有するものにとっては違和感はないのだ。これが化学調味料で作られた表面的なうまみ成分と合わせようとするならば、そこに本質的なギャップを感じ、さらに言うならば樽香の効きすぎたピノ・ノワールは、人口的なニュアンスが強い過ぎて、お出汁の真髄からは、ずれてしまうのだろう。

 和食と居酒屋を分ける要素に、お出汁の尊重を挙げるとすれば、和食とピノ・ノワールは相性がよく、居酒屋でピノ・ノワールを飲もうと思わないのではなかろうか。おいしい和食とピノ・ノワールの組合せ。両者がともに本物であるならば、そこに新たなる味わいが誕生することを、幸せに思う。

 しかし、いずれにしても(本物の)和食とピノ・ノワールの組合せは、絶妙なのである。こればっかりは、本物の(きっちりとお出汁を尊重するという意味の)和食と、真のピノ・ノワールの味わいを実際に試してみるのが、一番なので、がっちりとそんなお店の暖簾をくぐりたくなってくるのだった。

 「大将。今日のお勧めと、おいしいピノ・ノワールを何かお願いします。」


おしまい


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