冷めていくパン (2005/12/20)

 
 先日、都内の予約の取れないフレンチレストランで食事をする機会に恵まれた。

 店内はいつものように満席で、お料理もいい感じだった。

 しかし、一点だけ、私を寂しくするものがあった。

 パンである。

 ここの自家製パンは、出来立ては、熱々で、とてもおいしいのだが、時間が経つに連れて、お代わりでもらうパンがどんどん冷たくなっていくのが、とても寂しげなのだ。お代わりのし過ぎという批判を自覚しつつも、一度に大量に焼かれたパンは、二度と温め直されることなく、要望を受けるたびにパンの山が小さく減っていくシステムだった。

 リリー・フランキーのヒット作「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」(扶桑社)でも、温かいものが冷めていく様を嫌う行があるが、まさに私も強烈に同感するところで、温かい食べ物が、冷めていく様は、どうしようもなく私の心を冷めさせるのだった。「なんだかとても寂しいよお・・・」

 一方で、日頃お世話になっている、Jリーガーと日本のワイン醸造家が集う某ハッピーレストランでは、お代わりのパンはいつも熱々で、それはスタッフの陰の努力によって支えられる気配りそのものだと、冷めていくパンを齧りながら思ったりする。

 普段見過ごされがちな、あるいは意識すらされない些細なこと、例えばお代わりのパンの温度。その温度に注意を払う人がいることを、食べて側はもっと認識しなければならないと、痛感する。冷めゆくパンが、そのハッピーな空間の温度を冷めさせてしまわないためにも、そして多くのレストランではパンが室温に馴染むように冷めていき、それに気づいてしまった不幸を嘆きつつも、日本の食卓はハッピーな空間であってほしいと思ったりする師走の出来事だった。

 パンの温度に気を遣うレストランで、食事をしたいっす。


 おしまい


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