不器用な男の心意気 (2006/02/17)

 
 先日、日ごろお世話になっている某氏らと、某ハッピー・レストランでおいしい食事とワインを楽しませていただいた。そのレストランはいわゆる予約の取れない云々系のお店であり、その夜の予約はある種の快挙にも通じていた。そのお店は、こじんまりとした造りになっていて、座る位置によっては、サービスの裏方の部分も見えてしまい、ひとによっては一言ありそうではあるが、私的には、その裏方のお仕事的な現場も拝見できるとなれば、いつもにも増して食の現場を楽しませてくれるような気がして、とてもうれしかったりするのだった。そしてその夜の私のテーブルは、そんな裏方仕事が見える絶好の位置だった。

 食事を楽しみ、会話を楽しみ、私だけ、(憧れの)某氏のサービスの裏方仕事を横目で拝見して、とてもハッピーな夜は過ぎていく。私は食事を摂りながら、某氏のワインに対する姿勢に、ある種の不器用さも発見し、そしてそれは某氏のプライドや心意気にも通じることであり、またそれを知ることによって、某氏によってサービスされたお料理やワインが、いっそうおいしく感じられるのだった。

 実は、ここで暴露するのもなんですが、某氏は一本目のワインの抜栓に失敗していた。古めのワインにありがちなのだが、コルクがゆるいと、ソムリエナイフを当てただけでコルクがボトルの中に落ちてしまうことがある。今回のケースもどうやらそれらしく、落ちたコルクにスクリューを慎重に当てての救出作業が見受けられた。しかし、コルクは二度と瓶の外に出ることはなかったようで、某氏はその表情を変えた瞬間、躊躇なくそのボトルを置くに仕舞い込み、新しいボトルをセラーから出しては、コルクの抜栓に今度は成功し、何事もなかったかのように注文したワインを私たちにサービスしてくれた。こういう場合、ワインは交換の対象にもなりえるが、しかし事情を話せば、(あるいは何も語らずとも)、そのボトルをサービスすることは問題なく、デカンタをしたり、テクニックをつかったりすれば、コルクの落下をフォローできる策と口実はいろいろあると思われるのだが、某氏は潔く新しいボトルをサービスしたのだった。、

 二本目にあけたワインもまた古酒だったが、今度は普通に抜栓できたようだった。しかし、今度は味わい的に何らかの問題があったらしく、事前に味をチェックする某氏の表情は濁りがちで、そして再びセラーに向かっては新しいボトルを取り出して、これまた何事もなかったかのように私に二本目のボトルをホストテイスティングさせてくれた。

 オーダーした二本のワインの裏で、別の二本のワインが陽の目を浴びずに、奥にしまわれる。決して安くないワインで、古酒ゆえのリスクは注文したお客様にも共有できそうな気配もあるのに、某氏は自らの判断でワインを交換する。これはできそうで、できない作業のひとつ。「ワインが好きなので、ワインで嘘をつきたくない」そう優しく語り掛ける某氏の目は、不器用ながら、しっかりと輝いていたことを、私は見逃すはずもなく、利益追求と妥協できない品質との狭間にたつ某氏のこだわりと心意気に、激しい喜びを感じてしまうのだった。

 ゴッホが不器用なまでに絵の具にこだわったように、某氏は提供するワインの品質に、こだわっていた。真似ができそうでできないこの作業に、私もかくありたいと思いながら、そのバランス感覚に難しさを知るのだった。すべてはおいしいのために、食の裏側では、いろんな心の格闘がある。そしてそんな心意気には、お会計とは別に、なにかの手立てを探したくなり、日本にチップ制度がないことに、こんな時ほど戸惑いを感じたりするのだった。

 
 おしまい


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