空気の読み方 (2006/02/17)

 
 最近思うことがある。それは、私と馬が合わない人の多くと、反りが合わない人の多くに共通することで、つまり、その場の空気が読めない人とは、喜びも悲しみも共有できない、ということだ。

 「その場の空気」

 話のタイミングや呼吸、言葉遣い、その話題が否定的なのか肯定的なのか、ボケと突っ込み、話の落としどころ、会話の終わらせ時、相手の立場と自分の立場の違いによるその事柄のとらえ方、その人の心意気や男気など、その場の空気を支配するものは、いろいろありそうだが、その空気を読めない人とは、いまひとつ話も盛り上がらず、それがギャグ的に処理されるなら、ある意味救われつつも、空気が読めない天然系の人と遭遇しようものなら、その場は、大いに振り回されて、大なり小なり場は白けつつ、私の頬は少しばかり引きつるのだった。かく言う私も、時に(あるいは大いに)その場の空気が読めない時があり、このコラムも諸刃の剣的な要素をもっていたりするが、とにもかくにも空気が読めない人との会話は、一方通行になりやすく、あまり面白くないから、つらいのである。

 その場の空気とは何か。いくつか例をあげてみよう。

 レストランや招待されたホームパーティで、食後のデザートが出された時、甘口ワインやポートワインなどの食後酒を楽しむ場合を除いて、新たにお酒やワインが出ることはなく、そろそろ楽しい食事も終わりに近づいていますねという暗黙のサインに気づくべきだろう。

 一通り食事も終わって、「おっともうこんな時間ですね」とかが無理やりにでも時計を見ようものなら、一端その会は終了して、二次会に行くなり、帰宅するなりの選択をするべきだろう。それなのに話を継続し続けるのは、いかがなものかと思ったりする。空気読めよ、である。

 その場にいない共通の友達や知り合いの話をする時に、その人に恋心をいだいている人にむかって、あからさまな否定の言葉を投げかけるのは、その人への配慮に欠けていると思われ、その人の愛想笑いや困った顔から推測してしかるべきなのに、空気の読めない人は、その後もずかずかと話を切り込んでいく・・。寂しいなあ。

 空気が読めない人・・・それは枚挙に暇はなく、また意外に例も多そうだが、あまり突っ込みすぎると特定の固有名詞もでかねないので、このあたりで逃げるように筆を置こうと思ったりする(笑)


 おしまい


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