熱々のピザは、寂しがり屋の夜に (2006/05/25)

 
 ブルゴーニュのジュブレ・シャンベルタン村に新しいピザ屋さんができていた。私はいろいろあって、二夜連続で一人きりの夕飯を堪能したのでちょっと記してみたいと思う。というのも、最初の夜に試したピザがことのほかおいしく感じられ、暖色系の店内は居心地もよく、食事が終わってもしばらくは、エスプレッソをお供に、読書などして過ごさせていただいたからだ。(席に余裕もあったので、のんびりと・・・)

 個人的には、旅先でも国内でも、一人での食事にはお金をかけない主義だが、換金したユーロの残額とフランスでの残りの滞在日数を考えると、少しばかりユーロも余りそうだったのと、読みかけの本をどうしても読了したかったので、店内の明かり欲しさに、まずは試しに入ってみたのだった。イタリアのビールに喉を湿らせ、熱々のピザ(名前失念、中身はひき肉系)を楽しみつつ、なんだかそれは、とてもおいしくて、ちょっとばかり幸せになってしまった。ピザは一枚だけでもお腹一杯になり、会計も2000円台前半に収まり、一人御飯としては悪くない選択なのだ。

 で、翌日もこの村に遅い時間に戻ってこれたので、昨夜の余韻を思い出しながら、再び暖簾?をくぐり、今度はどのピザにしようか悩んだりする。ここはいわゆるチェーン店系ではなく、イタリアで修行してきましたというオーラも発せられ、こだわりのピザ屋さんと見受けられるところもうれしかったりする。結局、ふた晩目は、サラダにマルゲリータのピザとビールを注文して、二晩連続のハッピーをかみ締めようとした。

 ん。昨夜とは、少し違う。ふっくらとした生地の焦げ目がやけに気に係り、口の中がざらついて、なんだか昨日ほどの感動がない。そういえば、昨夜も焦げ目は多かった。味わい的には、昨夜とそれほど劣るとも思えず、しかも見渡せば、他のお客さんの反応もよろしいようで、なんだか私が疲れているのかと思ったりしたが、(斜面生活なもので・・・)、ふとこんなことを考え付いた。

 それは、ピザの温度だった。昨日も今夜もピザは熱々で、とてもいい感じ。厨房を覗き込めば、いわゆる石釜ではなさそうだが、やはりピザは熱々が旨いと思う。しかし、なぜに昨夜はおいしくて、今宵は今一なのだろう。そうか。そうなのか。

 一人旅を続けていると、私の食事はどんどんゾンザイになり、結局はスーパーで買ってきたスリミ(蒲鉾のような蟹風味のすり身スティック)やら、バゲットパンにチーズをはさんだり、ハムをはさんだり、ジャムを塗ったり、はてはチョコチップ入りのクッキーだけだったり、量り売りのお惣菜(人参、セロリなどの組み合わせ)だけだったりと、いわゆる即席の冷たい食べ物ばかりを食べ続けていたのだ。そこに思いがけず、熱々のピザを食べたものだから、なんだかとてもうれしくなってしまったのだろう。ピザの熱々には、持続性がないことを知る者にとって、また熱いものがその温度を失っていくことに寂しさを覚える者として、ピザはどうしても熱いうちに食べなければならない。だから昨日は夢中になって食べてしまった。「熱い」という、うれしさに心奪われて、いつも抱えている孤独を、つかの間ながら、忘れることもできたのかもしれない。

 しかし、二夜連続となると、その温度には慣れてしまっており、熱々といえども、昨日とは違うイメージを持つ。それゆえに孤独からの開放に失敗し、それは冷静にピザの味わいに集中力が発揮され、そのピザの落ち度というよりも、好みの違いが露呈されてしまったのだろう。私は、ピザの生地は、モチモチなのにサクサクしているのが好き。二日目の冷静さをもってして、初めてここのピザ本来の味わいを噛み締める。その味わいは、モチモチ系の焦げ目系。決して悪くはないが、言わば、普通のおいしさだった。そして、その最も期待するところの熱々は、二日目にして、すでに日常になってしまっていた。

 それでも初日の感動が忘れられない。

 一人での寂しい夜に、少しばかり耐えられなくなったとき、熱々のピザを頬張ってみよう。その熱々は、一人の夜を必ず温かくしてくれる。お料理の温度の大切さを噛み締めながら、一期一会な温度に接したい。ピザの熱さに集中して、しばしの孤独を忘れてみよう。その孤独からの開放は、翌日には同じ温度をもってしても、得られない可能性もあり、その瞬間だけに楽しめる事柄なのかもしれないけれど。熱いピザに感謝して・・・。

 
おしまい
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