うまい豆腐は、不幸の始まり (2006/12/09)

 
 最近、丹沢某所のお豆腐を頂くことが多くなった。

 このお豆腐、私の生活圏からはとても遠く、普段の食事としては、厳しいものがあるのだが、何かのご縁で、ひとたび口に含めば、豆の味がしっかりとしていて、コクとうまみが載っていて、大変おいしい。いつもより大きく包丁で切ったお豆腐を、大雑把に箸で切って、(この感触もまた美味なのだ・・・)、山葵を少し載せて食べるもよし、そのまま食べるも由で、これはもうなんだか、食べながら、とてもうれしくなってくるからありがたい。豆腐って、こんなにうまかっただろうかと、自分の半生を振り返りながら、箸は止まる気配を見せなかったりする。幸せとは、うまい豆腐を箸で持った瞬間にやってくるものと信じる。うまい豆腐の妙に、日本人のDNAはくすぐられる。

 ただし、このお豆腐にも欠点がある。それは、醤油との相性の悪さだ。醤油をつけると、味が逃げてしまうのだ。逆浸透圧の関係からか(ほんとかな)、醤油をつけると、豆腐のうまみがするりと逃げていくような気がして、この豆腐に関しては、断固醤油の出番はなかったりする。

 しかし、である。

 このお豆腐に慣れてしまうと、じつは大半のお豆腐が、たいそう貧相に思えてきてしまい、今までおいしいと思っていたであろう巷のお豆腐が、もうすっかり興ざめになってくるのが、とても痛い。なんだか薄っぺらなお豆腐を食べつつ、これが日本の標準なのだと、自分を慰めつつ、しかし、あのうまみのある豆腐がこの国にあることを知ってしまった以上、こればっかりはどうしようもないのだ。うまい豆腐は、世の大半の豆腐を、微妙な位置に追いやってしまう。これを、不幸といわずして、なんというのだろう。

 あああ。またあのお豆腐が食べたいよお。(湯葉豆腐もおいしい・・・)


おしまい

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