「武士の一分」 (2006/12/13)

 
 キムタク主演の「武士の一分」(山田洋次監督)を観た。

 古き時代の日本の美学がそこにあったと思う。映画館の時代劇にお金を支払うということは、テレビ番組の「水戸黄門」や「暴れん坊将軍」で育った世代には、少しばかり抵抗感があり、またキムタク主演という木っ端恥ずかしさも手伝って、なんとなく映画館に入るのに勇気が要った作品であるが、観て良かったと実感するいい映画だった。

 現代にも通じる「一分」に、こだわりを見せる主人公と敵役。そしてそれを尊重する剣の師匠。ド派手なハリウッド映画にはない、質素な趣の中に、風情や人間くささが感じられ、その生活ぶりは、現代に共通するものもあり、また失われ、遠ざかってしまったものありと、その光景を感じるままに、日本人の末裔に連なる自分自身が、ほっとさせられる映画だった。

 物語は、山田監督節が炸裂し、無駄な動きもなく、小気味よい。そのなかにあってキムタクの存在感も冴える。話の筋を見立てれば、ある意味予想通りの展開ではあるが、毒見役という、一見うらやましくもあり、滑稽でもあるお役目を通して、当時の情景を想像しつつ、その質素な生活に、現代にはない美徳を感じることもできたりする。世界中で日本料理がブームと聞くが、ここに登場するお料理にこそ、日本料理の
おいしさがあるように思えてきた。

 まさにこの映画は、料理に関心のある人も見るべき映画に挙げられるだろう。その理由を説明すると、内容に一歩踏み込んでしまうので、ここはぐっとこらえてみるが、古の日本人の美学とお料理の味わいに、どことなく、うらやましさを感じる映画だった。

 そしてこの映画を見終わった後は、和食も食べたくなるが、それ以上に、なぜかピノ・ノワールが飲みたくなってくるのだ。そこに死を意識するとき、ピノ・ノワールがそこになければならないという原則が、再びである。アルザス・ピノ・ノワール2004 ジェラール・シュレールあたりが、うまそうだ。


おしまい

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