おいしいって何 (2007/01/05)

 
 このコラム集も今回で500本目です。長らくお付き合い頂き、ありがとうございます。今後もマイペースで更新していけたらと思いますので、よろしくお願いします。

 で、先日、街の普通の居酒屋さんのご飯が、とてもおいしかったという感想を人伝に聞いた。タバコの煙も充満しそうな、居酒屋さんの定番料理がおいしいというのだ。なんか変な話だなあと、タバコや外食に含まれるうまみ調味料に、ビビッドに反応してしまう私をして、半信半疑に話を聞いてみた。よくよく話を聞いてみると、集まったのは家庭の主婦たちで、みな幼い子供たちを旦那に預けて、久しぶりの同窓会よろしく、この県ではもっとも大きな駅に隣接する繁華街で、ひとときの2-3時間を楽しんだという。子育てに追われ、外食などには縁遠くなってしまった彼女たち。その夜ばかりは独身時代に戻って、繁華街のオシャレな居酒屋さんで、気の合う仲間との楽しい宴。それはとても楽しそうな空間だろう。そして、なんとなく、そんな食卓を、うらやましく思ったりもする。懐かしい仲間との久しぶりの団欒。しかし、私がその場にいても、そのおいしさは共有できないはずだ。彼女たちとは、立場がまったく異なるからだ。
 
 私は一時期、一見おしゃれな空間に関心を持たず、またタバコの煙にまみれた空間で、業務用うまみ調味料によって、マニュアル通りに作られた料理に何の感動も覚えていなかったが、その食空間でも、人によっては楽しい宴がもたらされることもあることに気がつくと、食の幅の広さに感慨を持ったりする。ある誰かにとっては、居心地が悪くても、別の誰かにとっては憩いの場所というものがある。それはタバコひとつにスポットを当てても、禁煙のレストランで楽しみたい私もいれば、適度に吸えるレストランで食事を楽しみたい人もいる、ということになるのだろう。しかし、だれが何を好むかは、容易に判断できないし、それを伝える作業も意外に難しい。タバコをすいながら食事を摂る人たちにとって、喫煙の有無を問われることは、不可解な作業なのかもしれないし・・・。タバコをすわない人にとって、食事中の喫煙ほどむさ苦しいものはないと信じていたりもするし・・・。

 境遇や立場が異なれば、おいしいの基準も価値観も当然に異なってくる。

 ということは、誰にでも、おいしいというのは、なかなかに難しく、そんなものはこの世には存在しないのかもしれない。昔、読んだ辺見庸氏の「もの喰う人々」を思い出す。炭鉱で地下何百メートルももぐって作業し、口の中を真っ黒にしながら、従業員食堂で、一緒にご飯を食べたときに、強烈にうまいと思ったご飯を、翌日も同じ作業を繰り返し、同じものを食べても、なんの感動はなかったという話だ。死を恐れ、無事に帰還して、強烈な空腹時に食べるご飯と、その環境に慣れた後に同じものを食べるのとでは、立場が異なっているからだ。同じ人が同じ作業の後で食べる食事ですら、一回目と二回目とでは感慨が違うのだ。それは立場が、微妙ながら、変更されたから。

 立場が違う人に、「おいしい」を伝えることは難しいと思う。しかし、何か共通の思いを持つ人たちとなら、それを共有できると思う。私の場合は、ワインや食に対する感謝の気持ち、ということになるかもしれない。ワインをおいしく飲みたいと思う人たちに、私なりのアプローチでそのおいしさに迫れれば、同じ喜びを体感できると信じたりする。ロブマイヤーしかり、隆太窯しかり、名店シリーズしかり、そして某回転寿司しかり(笑)、箸の持ち方しかり・・・。(くどいので後略)

 正月早々、おいしいって何だろうと思いつつ、そのおいしいを共感できたら、ちょっと幸せなので、今後もいろいろと活動していきたいと思ったりする2007年のお正月だったりする。しかし、暖冬ですね。
 

おしまい

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