一枚の絵 (2007/02/17)

 
 友達に「べーあん」さんの名で親しまれる画家がいる。

 先日、湘南某所で開催されていた彼の個展に、ふらりと立ち寄らせていただき、何枚もの絵を鑑賞しながら、べーあんさんと世間話などを交わしつつ、素敵な時をすごさせていただいた。で、その中に、私の心をどうしようもなく揺さぶる一枚の絵があった。舞台はイタリア・サンジミヤーノの田舎道。ポプラの木を遠くに眺める緩やかな斜面に路駐された車と家が描かれた水彩画だ。季節は初夏。お昼ごろと推測される「光」に、私の、そう遠くない記憶が呼び起こされては、私の脳裏に重なってきたのだ。そして、私はその絵から離れることができなくなった。

 時は2002年の夏。初めてブルゴーニュの斜面を歩き続けては、真っ黒に日焼けしたときの記憶が鮮明に蘇ったのだ。ジュブレ・シャンベルタンを拠点にして、毎日、毎日、畑を探し回ったときの日差しは、べーあんさんの描く車の反射光に似て、とてもまぶしかった。夏の暑さに照りつけられて、木陰のない斜面には、身を潜ませる場所も少なく、斜面ではなかなか確保できないペットボトルの水を大切に飲み続けては、喉の渇きを癒したあのころの記憶が鮮明にフラッシュバックされてきた。私はいとも簡単に、するりとその絵の中の世界へと導かれてしまった。当時、一日何件ものドメーヌを歩いて周り、毎日歩き続けた筋肉の張りが、今も私の細胞に宿っているかのようだ。葡萄畑の看板と、造り手の表札を見つけては、いちいちドキドキし、アポイントが取れようものなら、私のガッツポーズは天高く、毎日の疲労はすぐさま吹っ飛んだものだ。あのときの記憶が、この絵の中にあった。この絵の日差しの中にあった。

 絵の舞台は、イタリア。私の記憶はブルゴーニュ。微妙な「ずれ」はあるものの、私が浴びたあのときの日差しは、絵の日差しとまったく同じもの。強烈な日差しを避けるように、視線を地面に落としては、ただひたすらに次の目的地を目指しては、隣村まで1時間かかる道のりが、楽しくて仕方がなかった。そう、あのときの日差しと同じなのだ。今では、かの地を訪ねても、レンタカーであっという間に通り過ぎてしまうようになって、日差しを強く意識することも少なくなったかもしれないが、当時はその日差しを避けるように、石垣の日陰や道端のくぼみ、わずかばかりの傾斜に一喜一憂したあのころがとても懐かしく、そしてうれしく思い起こされるのだった。(体力が落ちたときの下りはうれしく、だらだらと続く上り坂は、夕暮れ時は憂鬱だった・・・)

 一枚の絵に感情移入してしまった。

 絵の説明をしてくれるべーあんさんのやさしい語り口に、ふっと我に戻りつつ、絵のもつパワーに、私の視線は尊敬のまなざしへと変化していくのだった。一枚の絵の持つパワーと、それを描くことができる才能に、いたく感激した二月のある日の午後だった。

 その絵がどんな絵なのか・・・。某SNS系のサイトでは見ることができるのですが・・・どうしよう。


おしまい

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