セシトとドソ物 (2007/03/04)

 
 2007年2月22日の毎日新聞朝刊。日銀の0.25%の利上げを報じた一面を2枚ほどめくった読者の投書欄に、昨年度末の新年度予算編成の復活折衝で2億7600万円が計上された日本食優良店調査・支援事業に対する読者の不満が掲載されていた。

 ところで、先日、フランスはシャンパーニュ地方の比較的大きな街で、いろいろあって日本食を食べることになった。地元通の日本人某氏に連れられて入ったお店は、日本のとある大都市と同じ名前を掲げる料理店で、中国人と思しき東洋人が数名働き、日本人はいなさそうだった。「ここのお店は、あっちの回転寿司よりは食べられるよ。フランスで生活していると、こんなのとは承知の上でも、和食が恋しくなるんだよね。」との某氏の助言にそんなもんですかねと従いつつ、奥のテーブル席に陣取り、中国製の瓶ビールを頼んでは、日本語がところどころに配置されたメニュを眺めてみた。(私は異国を一人で訪ねるときは日本食系の食べ物は危機的状況を除いて、食べない主義を持っている)

 中国人(風)スタッフによって差し出されたメニュを見開いて、某氏のお勧めを参考にしながら、セシトの欄からにするか、ドソ物の欄からにしようか悩み、日本からやってきたばかりの私には、どれもどうよと思いながらも、ここはひとつ某氏と同じ「チラシドン」を選んだのだった。

 ここで、私なりにメニュの訂正を試みれば、セシトはセットの間違いで、ドソ物は、ドン物、しいては丼物を指している。でもセシトって何よ。DOSOMONOって何よの世界だ。(私はここで笑いの壺に嵌っては、リアルに反応し、大いに笑い転げる不覚を演じてしまったが・・・)

 まあ、このさい日本語の微妙な字句は、百歩譲ってみよう。私が頼んだドソ物は、チラシ寿司風丼とお味噌汁と、サラダがついていた。サラダは、味噌汁と同じ種類の器に入っていて、酸味のきつすぎるその味わいは、日本人の味覚にはなさそうで、お味噌汁もどこの馬の骨とも知れないキノコがぬるま湯に浸かっていた。日本では、サラダはお味噌汁の器の中には盛らないだろう・・・。そしてこれは果たしてそもそも味噌汁なのだろうか。似ているが、私には別物に見えた。チラシどんは、内陸地にある海鮮ゆえに、言うもがなではあるが、練りわさびをしょうゆに溶かして、胡麻風味のご飯と一緒に食べるなら、まあ食べられない代物でもなかった。そして耳元で某氏は囁いた。「ね。微妙だけど、食べられなくもないでしょ。」

 この不思議なチラシドンを、中国風の大きな箸を使って、どうにか食べ終え、そして思う。

 軽く、日本の、または日本人としてのアイデンティティが傷つけられてやしないか、と。時間とともに不意な「ドソ物」によって、当初は笑い転げた自分を恥じては、自分自身もふがいなくなってくるのだ。日本食がゆがんだ形で伝えられすぎている・・・。それでもなぜか地元のフランス人たちで混み合うお店は、商売的には成功していそうで、どうしても、目の前の光景にある種の戸惑いを感じざるを得ず、奥歯に何かが挟まって取れない違和感を持つのだった。これは明らかに日本食ではないだろう。似て非なるもの。中国風日本料理変形バージョン・パート22・・・。そんな名前をつけてくれるなら、これはこれで納得できないこともないだろうが、日本屈指の大都市の名を掲げられて、地元の人たちが不器用ながらも箸を使っては、ドソ物を食べる光景は、旅疲れした目に少しばかり、しみるのだった。

 冒頭の記事は、帰国後に読んだ。この気持ちは、ドソ物を食べていない人には、伝わらないだろう。


おしまい

目次へ    HOME

Copyright (C) 2007 Yuji Nishikata All Rights Reserved.