「知識無用の芸術鑑賞」 (2007/09/14)

 

 「知識無用の芸術鑑賞」川崎昌平 幻冬社新書

 個人的に、美術に関連する本を読むのが好きだったりしますが、この本は、なかなか痛快で、最近では最も面白い本かもしれません。なにが面白いって、この本にはその対象となる作品の写真がまったくないのです。ブログ全盛にあって、まったく写真がないという構成は、ある意味新鮮。作品の著作権や肖像権などをクリアする必要があるかと思いますが、写真を用いず独自の感性から繰り出される論評は、私の想像力を刺激して、なんとも心地がよかったりします。

 たとえば、「イカロスの墜落」の項では、その絵に対する、かすかな私の記憶を呼び戻しつつ、その文章を読み連ねると、なにやら不思議な絵が浮かび上がってきます。どんな絵だったけかな、あの絵のことではないのかな、などと頭の中で該当する絵を探しては、私のあやふやな記憶と、鋭い解説文を照らしつつ、電車の中で思わず笑ってしまうのです。肝心のイカロスは画面の端っこに描かれるだけの滑稽さを、作者は指摘し、その絵の記憶を呼び起こす作業は、今まで使っていなかった血管に血がめぐるようで、不思議な感覚です。その「絵がない」という、不思議な紹介の仕方に、一本取られたの感も強くなります。で、帰宅してパソコンを検索して、その絵にたどり着く。なるほど。うふむふむふむ。

 目の前にその対象がないという世界は、言葉だけが頼りで、しかし時間差を置いて、パソコン画面から容易にその絵を探し出せる時代につき、このタイムラグは意外と私の壺を押さえられていたりもします。実際の絵はこちら。私の思っていた絵とは違うものでした・・・(爆)。

 また狩野永徳の花鳥図の解説文は、その襖絵を一刻も早く見たいという欲求を駆り立てます。パソコン画面から検索すると、これまたあっという間に現物にたどり着きますが、作者の言わんとするところは、こんなちっぽけな画面からはまったく推し量れず、私に本物を見に行かなければならないと焦りにも似た思いを抱かせてくれます。この解説文は名文かもしれません。そうだ、京都いこう!!! (来月から京都市内の京都国立博物館で、鑑賞できるようですが、そこではなく、本来あるべきはずの大徳寺でみなければ、著者の真意はつかめないはずです。そのへんの伝手をどうやって開拓したらよいのでしょうか・・・)

 紹介される58作品のうち、何点かは本物を見たことがあり、また何点かは教科書や何やらで見たこともありますが、皆目見当がつかない作品もたくさんあります。なじみのある作品は、私の記憶を手繰り寄せては、ふむふむふむと納得したり反発したりで面白いですが、まったく知らない作品では、どうにもこうにも、その文章に親近感を持つことが出来ず、感情移入も出来ず、文章の途中で次の作品のページに飛んでしまったりします。それはそれでなにやら面白いのですが・・・。

 1981年生まれという著者とは、彼の文章を読む限り、かなりのオーラが発せられていて、日常生活では友達付き合いできそうにないですが(笑)、アート的には注目しておきたい、おにいちゃんかも知れません。この本を読むと、本物の絵を見に行きたくなります。芸術の秋、さくっとどこかの美術館に行こうかな。


おしまい

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