「いのちの食べ方」 (2008/02/05)

 

 一部で話題の「いのちの食べ方」を鑑賞してきました。この映画をみようとすると、「止めといたほうがいいよ。お肉食べられなくなるよ」という助言を頂きつつも、食に携わる者として、必見の漢字二文字が頭をよぎっておりました。

 で、観ました。率直な感想をいえば、「観てよかった」です。

 命の大切さを改めて感じるとともに、英語のタイトルの「Our daily bread」そのままの風景に、それが日常なんだと実感したりしました。映画は淡々と何のナレーションもなく、ひたすら「命」が「食材」に変わり行く様が流されます。魚や野菜のシーンではそれほどの抵抗感はありませんが、鳥や哺乳類(豚、牛)のトサツ風景は、やはり厳しいものがありました。(しかしあまりに淡々と進むので、一瞬寝てしまいましたが・・・)

 命が一瞬にして肉になる風景は、残酷にして、リアル。

 機械の音に耳を奪われつつ、トサツ直前の牛の動揺というか最後の抵抗というか、己の死を悟るあの瞬間に、いたたまれなさを感じながら、その次の瞬間には、肉の塊になっている現実は、食卓に動揺と命の大切さと感謝を与えます。お命、いだたきます。食卓で、手を合わせ、美しく最後まで食べること。それが食物連鎖の最高位にいる人間としての、自分で手を汚さずに、金で食を解決する人間の、最後の砦のような気がしてなりません。ますます、お箸の持ち方が微妙な人との距離を感じたりもします(笑)

 トサツの現場の、ある意味、あっけらかんとした空気は、命の尊さを忘れさせ、物同様に扱われることに、慣れてしまいますが、この映画を機に、食のありがたさを実感できて、ドラゴンクエストでいうところの経験値が一個上がった音が耳の奥に聞こえるのでした。

 映画館からの帰り道。ラッシュ時の渋谷駅は、たいそうな人出で、乗りなりない満員電車に乗り込もうとするとき、ふと思ってしまいました。そこにいる人たちが、映画で出てきた鶏に見えてきたのです。一瞬、どちらが人間で、どちらが鶏なのか、分からなくなってしまい、それこそが、怖いといえば、怖いのでした。

 しかし、映画の中で、どうしてもやりきれないシーンが・・・。

 牛の帝王切開の現場と人工授精の現場です。特に帝王切開は、おいおい、どうしてそこを切るかな。そこはないでしょ、というところを切ってしまうのです。そこから中から子牛を取り出すシーンは、厳しいものがあります。目を閉じるとあの風景が目に浮かんでは、どうしてもやりきれない思いを感じます。確かに、合理的といえば合理的ですが・・・命的に切ない場所でした。

 「いのちの食べ方」

 私は見るべきと信じます。


 おしまい
 

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