その味・・・最高から基準へ (2008/07/03)
 



 先日、銀座小十さんで、鮎の塩焼きをいただいた。極めてうまく、それはもう至福の瞬間としか言いようのない状態だった。大将の奥田さんによれば、鮎の三大要素は、まず生きていること、炭で焼くこと、そして鮎が小さいこと、このみっつ。このみっつを踏まえた上でなければ、その鮎が取れた川を聞いても、何の参考にもならず、逆にいえば、そのみっつを押さえずして、安直に「川」を質問しても、鮎に対する質問自体が成立しないという。小ぶりの鮎は死後硬直による熟成のメリットがほとんどなく、生きたまま串でさして、炭火で焼く以上の食べ方は、ないという。

 物は試しで、その鮎をいただくと・・・。手づかみで、頭から食べてねのアドバイスを頂き、腸の中間くらいまで一気に齧り付く。う。う。う。

 うまい。ふわふわの食感は、あたかもスナック菓子を食べているかのようで、頭から骨付きで齧り付いていることを忘れさせてしまうほどのインパクト。腸の苦味とうまみが、ほっほっほっと熱さをしのぐ仕草の中に、しみじみ感じられ、それはもう日本人に生まれてよかったと、体全身がうれし涙で湿るのだった。

 うま過ぎて言葉を失い、心がドキドキし、体は身震いし、口はほくほくしている。極めてうまく、極めて余韻が長く、そのおいしさは、私の鮎の歴史を大きく塗り替えるほど。これぞ、まさに日本一のおいしさだった。

 今までの鮎の食べ方といえば、箸で鮎をこう押さえて、骨を抜いて・・・というのが本道だと思っていたが、生きたまま炭で焼いた小ぶりの鮎を、頭から食べたその味は、今までの鮎は、すべてなかったことにして、このドキドキ感を大いに楽しみたいと思ったりした。

 そして、最高の鮎は、その瞬間から、最高ではなく、基準となった。

 最高の鮎を食べたからには、その味わいを最高のままにとどめておくことはできない。もっと奥の世界に入り込むために、この味わいを基準にしなければ、その先に進めないと信じるからだ。不幸の始まり、ここにあり。小十さんのこの時期の鮎よりもすばらしいものは、いったいどのくらいあるのだろうか。この鮎より下のものは、五万とありそうで、この鮎を基準してしてしまうと、食べる鮎はほとんどなくなるが、しかし、それでいいのだと心に誓う。

 もっと奥へ。

 最高を基準に、もっと奥へ進みたいと思う銀座の夜だった。


 おしまい

 
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