「食」は難しい (2008/08/28)
 



 「食」は、つくづく難しいですね。

 先日も、ミシュランで評価の高い某レストランに、ある方のご紹介で、伺いましたが、極めて残念な結果となり、御代が安くない分、悲しみは怒りへと転換されて・・・なにやらとても寂しい気分を味わってしまいました。

 ミシュランが星をつけたレストランには、ハッピー・ワインセミナー以外にも、いろいろとお邪魔していますが、概ね私の嗜好と合ってる部分が多く、「あああ、なるほど、だからこのお店は星をとったんだなあ」とか、「このウキウキ感をフランス人の評価員は楽しんだんだろうなあ」とか「三ツ星畏るべし」、などと勝手に喜んでは、いろいろと食の世界を楽しませてもらっていますが、その夜ばかりは、私の期待は大きく裏切られ、なんだかとても寂しく、終電間際の東海道線に揺れて、帰宅したのでした。

 なぜココがミシュランに評価されているのか、まったく理解できない。それが素直な感想で、別のお店の同じメニュとどうしても比較してしまう悲しい性にさらされつつも、そのあまりのギャップに涙すらこぼれるというものでした。それは、食の基準を、銀座小十の六月の鮎の塩焼きに設定してしまった不幸なのかもしれません。最高の味わいは、エベレストの頂点よろしく、小さくて狭いものなのでしょう。しかし、「最高を基準に」、この一線は譲れません。

 帰宅後、このお店のことを検索すると、いろいろな人が感想をUPしていましたが、私の目に留まったのは、料理の構成についてでした。季節が違うのにほぼ同じメニュを食べていたことに気づきつつ、初めての訪問に付き、定番料理を楽しんだと前向きに評価しつつも、季節感を味わえない悲しみに、拠り所のなさを感じたりもしました。それが安ければ、別の感想もありかなと思いつつ・・・。

 「食」は、つくづく難しい。

 レストランでの食事は、ソムリエや職人さんとの相性やら、お店の価格設定やら、スタッフとのコミュニケーションやら、ホスピタリティやら、料理そのものの味わいよりも、別の要素がたぶんに絡むもの。しかし、この時期にこの食材はないよなあと思うごとに、そういえば、予約の電話口の若い衆の対応に、不吉な予感があったことを思い出しては、一事が万事・・・その瞬間に、すべては決まっているのだという事実を、自分を無理やりにでも納得させようとするのでした。すべては、あのぶっきらぼうな電話対応から始まっていたのかもしれません。

 「レストランは、おいしいご飯を食べるところではなく、ご飯をおいしく食べるところ」

 そんな言葉を繰り返しては、反面教師たれ、と思います。そこに食の最高へのヒントが隠されていると信じるからです。「食」の難しさを反芻しながら、私の極めて狭いストライクソーンを、より狭くする旅に、これからも出てみようと思う東京の夜。それもまた「食」の一面なのですね。

 ところで、ココがどこのお店かは、とりあえず内緒ということで(爆)


おしまい

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