おいしく食べる (2008/11/26)
 



 この「いつものコラム」も、今回で600本目となりました。紆余曲折というよりは、サボってはサボり、サボってはサボりの連続でしたが、今後とも大いによろしくお願いします。

 で、最近、改めてこの言葉の重みを感じています。


 「おいしく食べる


 かの魯山人も、某山本益博氏も、心の三ツ星レストラン「ブラッスリーHxM」の相山オーナーも、その著書や発言において、これと同じ主旨の言葉を発し続けています。「魯山人の美食」(平凡社新書)の著書がある山田和氏は、同書で魯山人の心得について「美味しいものを食べるのではなく、美味しく食べる」と記し、私もそれにつくづく同感するものであります。


 「おいしく食べる


 すなわち、箸を美しく持つ。食事のマナーや作法、エチケットを守る。レストランでの身だしなみや会話に気をつける。料理の温度を感じる。煙草を吸わない。いのちを食すことに敬意を払う。旬を楽しむ。シェフの心意気を楽しむ。サービスの気遣いを知る。その料理に携わるすべて人に敬意を払う。ワインやお酒を合わせる。グラスや器を選ぶ。会話を楽しむ。時間を守る。その場の空気を読む。


 「おいしく食べる


 なぜならば、レストランは、美味しいご飯を食べるところではなく、ご飯を美味しく食べるところだからです。レストランで、おいしいご飯を食べようとすると、いろいろな思惑の違いが露呈し、必ず不幸へと落ちていくような気がしてなりません。


 「おいしく食べる


 これを意識できれば、ギネスビールのパーフェクトバイントに描かれたシャムロックの模様に、心を躍らせることもできますし、シャムロックについて調べたくもなってきます。また、注文した料理が出てきたときに「お皿熱いですから気をつけて」の一言に、その言葉以上の愛を感じることができると思います。「おいしく食べる」を共有できれば、そのレストランで同じときを共有するすべての人と、共通の喜びを享受できるように思えるのです。そうすれば、なぜ食事のマナーや作法があるのかも必然で、食事中のタブーがあるのも納得できてしまいます。茶道の一連の動きには、意味があり、すべてはおいしいお茶を楽しんでもらうため。それは器を温めるためだったり、お茶の温度が冷めないようにだったり・・・。


 「おいしく食べる


 この一点に価値を共有できたならば、その食空間は、極めてうれしい瞬間であり、生きる喜びだったりします。逆に、それを共有し得ないとき、一食損をした気分にさせられるのは、私の技量と守備範囲と心持が極めて小さいことに由来しますが、その一点において、譲れないのだから、いたし方ありません(爆)


 これからも、いろいろあるかと思いますが、何はともあれ、その食事が「おいしく食べられたら」幸せです。

 まずはそこから、そして・・・。


おしまい

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