no buta , no life (2009/02/17)
 


 
 

no buta , no life

 

私は思います。

 

人生は常に「豚」と運命を共にしている。

 

 

資本主義の豚になるか、その豚に食われるか。

 

理想と現実、または法規制の壁に当たって、

資本主義の豚になってしまうことは、

卑しくもあり悲しくもあり。

 

それは、この国で生きていくためには、やむを得ない部分かもしれません。

 

資本主義の豚。

いやな言葉ではあります。

できれば、そんな豚にはなりたくないし、

ましてや、そんな豚に、食われたくもありません。

 

しかし、

極めて幸いなことに、資本主義国家のこの国にあってすら、

そんな豚を忘れさせてくれる豚がいます。

 

ル・ビストロ・ノーブルで食べる豚。

河津展正シェフが、愛情込めて焼き上げる豚は、

「食堂かたつむり」小川糸著のクライマックスと重なって

命の尊さと愛おしさを感じさせてくれます。

 

no buta , no life

 

資本主義の豚になってしまったあの人に、 ノーブルの豚を。

資本主義の豚に食われてしまったあの人に、ノーブルの豚を。

 

ノーブルの豚は、

そんな彼らの垣根を越えて 

今夜もきっと焼かれていることでしょう。

 

no buta , no life

 

ノーブルで豚を食せば、何とかなる。

今夜も豚に、かぶりつく。

 


おしまい

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