ドメーヌを巡る冒険


 テーマ : 二人のアンヌ

 問題 ドメーヌ・アンヌ・グロの前身は、
 
 A ドメーヌ・アンヌ・エ・フランソワ・グロ と
 B ドメーヌ・アンヌ・フランソワーズ・グロ のうちどちらでしょう。


 正解 A

 
 長めの解説

<はじめに>
 ヴォーヌ・ロマネ村の名門グロ家は現在4つのドメーヌに分かれている。グロ家は、所有する畑が有名で、偉大なワインを多く造り出すことから、数多くのメディアに取り上げられて、その家系図やらを引っ張り出されては、つぶさに観察されている。しかし複雑な分割の歴史と似たような名前ゆえに、非常に紛らわしく、いつも混乱の種になっている。「プロフェッショナルのための」と銘打ったワイン本でも堂々とアンヌ・グロとAFグロを間違えているところから分かる通り、プロでさえ混乱しがちなのである。この混乱を乗り越えて、このドメーヌの家系図や所有する畑を正確に言えると鼻高々だったりするが、この手の話題は、相当なワイン好き以外の人からは煙たがられること必死である。いかんせんオタク過ぎるからだ。

 
<フランス人の名前>
 本題に入る前にフランス人の名前について、おさらいしよう。Anneはウルトラ警備隊でもおなじみの名であり、アンヌと読む。Michel はミッシェルだ。

 François(フランソワ) とFrançoise(フランソワーズ)
 フランソワは男性のファーストネームでフランソワーズは女性の名前である。両者の違いはアルファベットの末尾にある。E。フランス語は原則的に末尾の子音は発音しない。したがって前者は子音sで終わっているので、フランソワとなるのだ。一方後者は末尾にeがある。この場合は前のsを発音することになるので、sを読んで「ズ」となる。sがひとつなのでズと濁り、仮にssと続くと「ス」と濁らないルールがあったりもする。eがあるのでフランソワーズになるのだ。ちなみにこの原則は私たち日本人の単語にも当てはまり、男性日本人はjaponais(ジャポネ)であり女性の日本人はjaponaise(ジャポネーズ)となる。

 余談ながらCの下にも、にょろっとしたアクセントがついているが、これはCを次ぎに続く母音に合わせサシスセソと発音せよと忠告を発しているマークだ。これがないと、この場合は「コ」になり、フランコワ・フランコワーズになってしまう。ちょっとイメージがズレルぞ。さらにフランス語の語尾にもいろいろルールがあり、例えばMontrachetと綴るからモンラッシェと読むのであって最後のtがないとモンラッシュになる。これでは、偉大な畑をフランダースの犬が歩きそうだ(それはパトラッシュかも)。

 ともかく、このフランソワさんはフランスに多い名前だ。あのジャン・フランソワ・コシュ・デュリやフランソワ・ミクルスキ そしてラグランドリュの所有者フランソワ・ラマルシュ、シャブリでダントツのドメーヌ フランソワ・エ・ジャン・マリー・ラブノなど枚挙に暇がない上に、みな末尾にeはない。おお。これで全員男の名だと分かってしまうのだ。


 Michel (ミッシェル)
 ミッシェルはフランス人の男性にも女性にも使われる名前で、日本語で言えば智美さんや克美さんに相当するかもしれない。ただ単にミッシェルと発音されれば、それが女性なのか男性なのか分からないからだ(フランス語の場合は形容詞や主語などが性によって異なるので文章になっていれば容易に判別できる)。しかし、発音は同じでも綴りを見れば一目瞭然。男性ならMichel 女性ならMichelle(= ビートルズの名曲はこの綴り)またはMichèle(ローヌのドメーヌ・グラムノン当主など多数)だろう。女性なので最後にe が来る。さらにドイツ系ならMichaelなどと綴ったりする。


 Frère et Soeur (フレール エ セール)
 いわゆる兄弟と姉妹。グロ家の名声を築いたLouis Gros ルイ・グロの4人の子供のうち、Gustave グスタフ(男)とColette コレット(女)が共同でドメーヌを引き継いでいたために、この名がある。日本語に直せば、グロ兄弟商会のようなイメージだろう。似たような名にPère et Fils(ポール・エ・フィス)というのもある。こちらは父と子なので親子商会。余談ながらデュジャークのネゴシアン会社は息子が主体となって運営しているので、Dujac Fils et Pèreとなり子と親の順番が逆になっている。


<グロ家の歴史> 世代はこの表で右から左へと移る。我ながら、ややこしい。
ドメーヌ名 当主 前身(名称変更)  前身 ← さらに前
Domaine Anne Gros
アンヌ・グロ
Anne Gros
アンヌ・グロ
Anne et François Gros
アンヌ・エ・フランソワ・グロ
François Gros Louis Gros
Domaine A.-F. Gros
A.F- グロ
Anne Françoise Gros
アンヌ・フランソワーズ・グロ
. Jean Gros
Domaine Michel Gros
ミッシェル・グロ
Michel Gros
ミッシェル・グロ
Domaine Gros Frère et Soeur
グロ・フレール・エ・セール
Bernard Gros
ベルナール・グロ
(ジャンの子)
Gros Frère et Soeur
 

 ミッシェル・グロに頂いたパンフレットによれば、グロ家の歴史は1804年のアルフォンス・グロの誕生から始まるという。その後いろいろあって、第1次世界大戦で負傷した経験を持つ4代目のルイ・グロへと引き継がれ、今日のグロ家の礎を築いたという。

 1951年にルイ・グロは亡くなり、畑は残された4人に相続された。彼らは1963年まで共同でドメーヌを経営していたという。その後ドメーヌは四兄弟によって、3つに分割された。ジャン・グログロ・フレール・エ・セール(グスタフとコレットの共同経営)、そしてフランソワ・グロだ。ジャン・グロは三人の子宝に恵まれた。ミッシェル、ベルナール、アンヌ・フランソワーズの三人だ。ミッシェルがジャングロの後を引き継ぎ、すでに嫁にでていたアンヌ・フランソワーズにも生前相続の関係で所有する畑が引き継がれたのだった(リシュブールが有名だ)。そのジャン・グロが正式に引退したのが1995年である。

 これとは別に、グスタフとコレットには子供がいなかったので、ジャン・グロの息子であるベルナールがそのまま引き継ぐことになった。ちなみにベルナールの屋敷はヴォーヌ・ロマネ村でも指折りの大邸宅だったりする。うらやましい限りである。

 一方ジャン・グロの弟であるフランソワは独自にドメーヌ・フランソワ・グロを経営していたが、後に娘のアンヌがドメーヌ経営に参加しDomaine Anne et François Gros アンヌ・エ・フランソワ・グロに改名した。上記の通りFrançoisは親父サンの名前なので末尾にeはつかず、フランソワである。そして引退を契機にドメーヌ・アンヌ・グロとして今日に至っている。アンヌ・グロは他のグロ兄弟とは祖父が同じの従姉妹の関係に当たる。
 
 かなりややこしい。登場人物が多い割に名前が似ているからだ。ドメーヌ毎に整理してみよう。


<アンヌ・グロ>
 ルイ・グロ → フランソワ・グロ → アンヌ・エ・フランソワ・グロ → アンヌ・グロと続く名門。
 看板ワインはリシュブールとクロ・ヴージョ(ル・グラン・モーペルテュイ)。
 セラーはブルゴーニュのなかでも、すばらしく綺麗。アンモナイトの化石を配置し、間接照明。
 おしとやかな話し声と、時にやんちゃな振るまいは超魅力的。残念ながら人妻。


<A.F-グロ>
 ルイ・グロ → ジャン・グロ → A.-F.グロと続く名門。
 ドメーヌ・ジャン・グロの分割前にアンヌ・フランソワーズはポマールのドメーヌ・パランのフランソワ・パランと結婚していたが、生前遺産分割前の1988年にドメーヌを設立し、同時にフラジェ・エシェゾー村のドメーヌを再開させた。同じ頃、旦那のフランソワもドメーヌ・パランから分割分離してドメーヌ・フランソワ・パランを設立した。点在していた設備をボーヌ駅そばの一等地に集約させて、現在はポマールとボーヌの二箇所に事務所と設備がある。また旦那フランソワはネゴシアン業にも力を入れ、ポマールのドメーヌ・ローネイを傘下に収めるなど、かなりのやり手ビジネスマンだ。そんな多忙な身にもかかわらず、異国の訪問者(私のことだが)を車でホテルまで送ってくれるナイスガイだったりもする。その節はお世話になり、感謝である。ちなみに今日のドメーヌ・パランは、フランソワとは姉妹のカトリーヌとアンヌが共同経営しているので別のドメーヌになる。姓名を見る限り結婚しているようだが。そしてややこしいことにここにもアンヌがいるのだ。

 A.-F.グロの看板ワインは何と言ってもリッシュブール。ボーヌの設備が完成するまでは、リシュブールの醸造は兄のミッシェル・グロが担当していたが、今では旦那フランソワ・パランが他のワイン同様ボーヌのドメーヌで醸造している。特級エシェゾーも割安感があって結構おすすめである。


<ミッシェル・グロ>
 ジャン・グロの後継者であり、本家的でもある。看板ワインのリシュブールをアンヌ・フランソワーズに譲ってしまうお人よしでもあるが、根っからのワイン好きが手に取るように伝わってくる人柄はブルゴーニュ随一。看板ワインは一級クロデレア。この由緒正しき単独所有畑は、畑のグレード的には他の一級にかなり間を置かれているが、伝統の名に恥じぬすばらしさを持っている。近頃ニュイ・サン・ジョルジュのドメーヌ・デ・ザルボパンと委託契約を結び、18ヘクタールの畑からワインを造っている。日本での流通はディスカウント系のため、安く見られがちなのが残念だ。ちなみに秘書のジョージアさんはギリシア系のウルトラ美人で、私とメル友である。


<グロ・フレール・エ・セール>
 ルイ・グロの子供グスタフとコレットに後継者がいなかったため、ジャンの息子ベルナールが1980年より経営に当たっている。髭のおっちゃんだが、屋敷は豪邸、車は赤いオープンカーである。看板ワインはリシュブール。グランエシェゾー。そしてヴージョ城の後ろ側のクロ・ヴージョ・ミュジニ。クロ・ヴージョ・ミュジニはクロ系果実の濃縮感があってかなり好きな味わいだ。


<まとめ>
 グロ家の真相に迫ろうと思いつつ、どうも混乱しがちで、しかも長くなる。今宵はこの辺でいったん筆をおき、別の機会に一気呵成に明瞭かつ大胆に展開しようと思う。


 参考文献 ドメーヌ・ミッシェル・グロ会社案内
        ドメーヌ・アンヌ・フランソワーズ・グロ会社案内


 
以上


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