あとがき

 結局今回の旅行記は400字詰め原稿用紙で420枚を超える量となってしまった。当初は僕の 体験した音を伝えたくて、これを書いていた。1か月も前の出来事を、こんなにも事細かく 覚えているものかと我ながら感心もした。伝えたいことが溢れ出ていた。ロマネコンティでの 田崎真也氏との写真をなくした悔しさを文字にしたかった。しかし書きながら、徐々に只毎日の 行動を記録するだけになっていたことも事実だった。記憶を記録するだけの作業に意味を 見出だせなくなった時期もあった。シャトー・パルメ以降がそうであり、盗難事件以降がそうである。 記憶を辿る作業は僕を憂鬱にさせた。僕の歩き方を他人に強要しているようで心苦しくもあった。 それでも書き続けられたのは、ヨーロッパの音が、僕の心の芯を震わせたからかもしれない。 テープでは決して再現できない音。その場所でしか聞こえない音。耳を澄ませば、それらの音が僕の 耳の裏側に蘇ってくる。

 僕の旅は万人にはお勧めできないと思う。人それぞれの旅は、それぞれなりに最高だと思うからだ。 旅にルールはないと思う。ヒッチハイクだけの旅もよし、乗り合いバスだけもよし、ユーレールパスも よし、観光ツアーもよしだと思う。旅人が自分なりに満足していればそれでいいのだと思う。 山下姉妹には山下流があり、観光ツアーにはそれ相応の楽しみもあるのだ。

 僕の旅の全貌をここに紹介したのは、他人の旅が少し気になったり、子育てでなかなか海外に 行けない人達に、一人で寂しかった僕の旅のパートナーなんぞになってもらえれば嬉しいと 思ったからだ。正直に告白すれば、やはり独りの旅は寂しかった。お洒落な街を僕も愛する女性と 手をつないで歩きたかった。だから今ここで紙面上ではあるが、手をつないで歩きたいのだ。

 ヨーロッパでは実にいろいろな音を聞いた。スカラ座のオペラ、フェラーリテストコースの 排気音、ナポリの騒がしさ、シャンゼリゼの恋人たちの会話、ブドウ畑の砂利を踏む音、地元の 人々との会話など枚挙に暇がない。名作と呼ばれる絵画も見た。ダ・ヴィンチの最後の晩餐、 モネの睡蓮、ミレーの落穂拾い、ゴヤの裸のマハと着衣のマハ、ピカソのゲルニカ、ボッティチェリの ビーナスの誕生などなどだ。特に最後の晩餐と睡蓮はあの場所でしか見られない傑作だった。 ワインも飲んだ。レ・フォール・ド・ラトゥールの77年を筆頭に一本何百円のテーブルワインまで 数多くのワインを飲んだ。シャトー・ディケムの67年も買った。この世紀の大傑作を飲む日は いつだろう。

 ヨーロッパの旅を前後して、僕は日本国内も歩いた。1都2府14県。あちこちの人と酒を飲み、 道を聞いた。我ながら良く歩いたと思う。

 この旅行記は、帰国後約1か月を掛けて完成した。正確な意味での日記とも違うし、記録簿とも 違う。読者を意識もした。盗難に遭った荷物も保険が利いて、現金が戻ってきた。お金は戻っても 思い出の写真は戻らない。しかし旅の思い出は、写真とは別の形で残せるはずだと信じて、今回これを 書いた。とにかく、この幼稚な文章の連続を読んで頂けただけでも幸いだ。感謝の意を表して、 ひとまず筆を置くことにしよう。

1998年1月29日 大磯の自宅にて


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