コント・アルマン
Domaine : Domaine du Comte ARMAND
ドメーヌ : ドメーヌ・デュ・コント・アルマン
本拠地 : ポマール村
看板ワイン : ポマール1級クロ・デ・ゼプノーなど
特徴 : 天才バンジャマン・ルルーのフロンティア精神
思い入れ : 2004年に収穫のお手伝いをしてきました
バンジャマン・ルルー氏
はじめに

 2004年9月、私はポマールを代表する一級畑クロ・デ・ゼプノーの収穫に参加した。ピノ・ノワールにとって試練のビンテージとなった2004年の葡萄をこの手で収穫し、選果台で腐敗果を取り除く作業を、現場で体感したあの日から、もう4年の歳月が流れているのかと思うと、感慨もひとしおで、以来、現場責任者のバンジャマン・ルルー氏とは、懇意にさせていただいている。今回は、いろいろな縁が重なって、2006年ビンテージの試飲を樽からする機会に恵まれ、関係各位に大感謝とともに、少しばかり記してみたいと思う。


ドメーヌ紹介

 当主のバンジャマン・ルルーは1999年、当時のドメーヌの責任者だったパスカル・マルシャンの後継者指名を受け、若干24歳の若さにして、コート・ド・ボーヌ屈指の名門ワイナリーの現場責任者(régisseur du domaine)に就任した。この若き天才醸造家が、代々受け継がれてきたポマールの伝統と名声を引き受け、その一方で、彼はフロンティア精神にも長け、さまざまな試みを畑と蔵で実践している。バンジャマン・ルルーは、今日のブルゴーニュを語る上で、欠くことのできない人物として、ブルゴーニュ魂は、永遠に注目し続けている。ところで、ドメーヌ・デュ・コント・アルマンでは、看板畑クロ・デ・ゼプノー(面積は、2区画からなり、5.23ha = レ・グラン・ゼプノー側に0.61ha + レ・プティ・ゼプノー側に4.62haで、200年来モノポールを維持している)をメインに、ヴォルネイ1級フルミエやオーセイ・デュレスなども醸造している。訪問した日は、クロ・デ・ゼプノー以外の2006年ビンテージのワインの瓶詰めを翌週に控えたタイミングで、おりしも瓶詰め前の最後のテイスティングとなった。(クロ・デ・ゼプノーは、もう数ヶ月樽熟成される)


バンジャマン・ルルーの挑戦

 若きバンジャマン・ルルー(Benjamin Leroux = 英語表記ならベンジャミンかな)の挑戦を箇条書きにして列挙してみると、こんな感じになる。フロンティア精神炸裂で、大変興味深い事項が並んでいく。

 1. ビオディナミ農法の全面展開
 2. たったひとつのポマール1級クロ・デ・ゼプノー
 3. 株仕立てによるピノ・ノワールの栽培 (ヴォルネイ村名畑にて)
 4. 500リットル樽での樽熟成 (一部ワインについて)
 5. スクリューキャップの導入
 6. ネゴシアン事業の展開 ボーヌに新カーブ

 これ以外にもあると思われるが、まあそれはそれとして、一つずつページを捲ってみよう。


 1. ビオディナミ農法の全面展開

 クロ・デ・ゼプノーの畑は、細分化されたブルゴーニュの中では異質な存在とも言え、四方を石垣(クロ)で囲まれ、それゆえに他の畑の影響を受けにくく、かつ5ha以上の面積を持つために、大胆な葡萄栽培が可能であるという。バンジャマンは、ポマールを代表するこの畑で、就任した1999年からビオディナミ農法を実践し、大地のエネルギーをワインに昇華させることに成功している。畑自身は、1992年から有機農法を採用し、バンジャマン自身も14歳の頃からこの畑になじんでいたというから、満を持してのビオディナミ導入だったのであろう。

 ところで、ブルゴーニュにおいて、ビオディナミを展開するうえでの最大のネックは、細分化の果てに待っていた所有する区画の狭さにある。所有する畑が小さく、そこで有機農法を実践しても、運悪く隣の区画が化学薬品を使用していると、その影響を受け、ビオディナミや有機農法の効果に疑問符も点灯するという。しかし、クロ・デ・ゼプノーは高い石垣に囲まれ、外的要素を容易に遮断することができ、また5ha余りという、この地においては広大とも呼べる面積を一手に引き受けることができるため、新しい(または古い)農法を実践するには、最適の場所であるという。かなり緩やかな斜面には、ヴォルネイとポマールの谷間から、葡萄を湿気から守る、風も吹きやすく、粘土質の土壌から長熟タイプのポマールが醸されることになる。

 バンジャマンは、ビオディナミ農法を実践するには最適の地クロ・デ・ゼプノーで、自身のフィロソフィーとワイン愛を日々投入し続けている。

クロ・デ・ゼプノーの4月上旬

 2. たったひとつのポマール1級クロ・デ・ゼプノー

 今回の試飲では、クロ・デ・ゼプノー内の樹齢別ワインの比較試飲を経験した。広い畑は、樹齢別に管理され、収穫と醸造を別々にした上で、最終的にそれらを巧みにブレンドし、たったひとつのクロ・デ・ゼプノーとしてリリースされる。クロ・デ・ゼプノーの高品質を維持、発展させるために、その味わいに含めるべきないとされるキュベは、容赦なくデクラッセ(格下げ)され、あるものはポマール1級(畑名なし)として、あるものはポマールとしてリリースされるという。また広い面積ゆえに葡萄も相当量確保でき、品質に見合わない葡萄は、容赦なく捨てることもできる。ちなみに私が収穫した2004年は、極めて残念ながら腐敗果が多く、20%もの葡萄を破棄したという。今回は、2006年ビンテージの樽から、若木のキュベから始まって数種類を試飲し樹齢の違いを味わった。そして最後に、それらのいくつかをグラスの中でブレンドし、数ヵ月後に瓶詰めされるクロ・デ・ゼプノーの輪郭を想像させてもらった。若木のフレッシュさと、古木の熟練み。それぞれはピノ・ノワールの樹齢だけが違うだけなのに、これほどまでに味わいに差が出るとは、樹齢恐るべし、である。そしてそれらが巧みにブレンドされることによって、古木だけのバージョンでも表現しきれない不思議な味わいが表面化する事実を、バンジャマンの自信で漲る笑顔に、うかがい知ることもできたりする。

 クロ・デ・ゼプノーはひとつ

 これは以前、クロ・ド・タールでも同じことを言われたが、これこそがクロ・デ・ゼプノーのテロワールかと思うと、大変興味深い事実であり、クロ・デ・ゼプノーの天の恵みと地の恵み、そして人の英知の結晶なのだろう。


 3. 株仕立てによるピノ・ノワールの栽培 (おいてヴォルネイ村名畑)

 この項は、クロ・デ・ゼプノの畑から離れ、隣村のヴォルネイでの話になる。ブルゴーニュの地において、ピノ・ノワールは、ワイヤーを水平に張り巡らせる垣根仕立てによる栽培が一般的だが、バンジャマンは、この仕立て方に疑問符を投げかけ、ワイヤーで枝を固定させる方法ではなく、ボージョレでのガメイ種栽培の基本である「株仕立て」を実験している。一本一歩の樹を独立させ、並列されることによって遮断されがちな日光を効率よく取り入れようという試みで、まずはヴォルネイにおいて実験しているのだという。葡萄の高さは、垣根仕立てなら、胸の辺りで統一されるが、株仕立てでは人間の身長よりも高く仕立てられ、その分、光合成効率を高められるという。仕立て方の違いによる差が確認されるまでは、まだ日数も要するらしく、今後の葡萄の成長を待ちわびることにしたい。誰もやろうとしないことを、やる勇気。すごいことだと思う。


 4. 500リットル樽での樽熟成(一部ワインについて)

 ブルゴーニュの樽は228リットル入りが標準だが、最近は、空気接触や樽のワインに与える影響力を加味する目的で、500リットル樽も各ドメーヌで採用されている。アンヌ・グロの白ワインや、コント・ラフォンのモンラッシェでもその採用を確認してきたが、バンジャマンは、それを赤ワイン用に使っている。ただし、最良といわれる果汁からのワインではなく、プレス果汁の熟成用とのことで、プレスワインの個性との対峙が、とても興味深かったりもする。生ビール用の樽も併用していたが、もしかしたらそこにはビールが入っているかも知れず、そこの点を聞くのを忘れてしまったのは、ご愛嬌ということで・・・。


 5. スクリューキャップの導入
バンジャマンが醸したオーセイ・デュレスの白ワインには、スキリュー・キャップが採用されていた。世界的なコルク不足の影響を受け、本来ならば10年以上で収穫されるべきコルク樫が、6年程度で製品化され、それゆえに、品質が劣りがちという。それならばいっそのこと、スクリュー・キャップにすべしとの方針で、白ワインの一部に導入したようだ。スクリュー・キャップには空気の完全遮断からくる還元という問題点も指摘されつつ、今回は、導入という事実だけで会話を終わらせるところが、いい感じではある。ブルゴーニュでは、同じくビオディナミを展開するモンショベも自身のアリゴテに採用し、山梨のシオンワイナリーも導入していたりする。


 6. ネゴシアン事業の展開 ボーヌに新カーブ

 コント・アルマンでは2001年からネゴシアン事業を立ち上げていて、前述のオーセイ・デュレスもその枠に入るという。ただし多くのネゴシアンと違うところは、すべてのワインは、葡萄の段階で購入し、バンジャマン自らがプレスし、醸している点をあげた。2007年からは、さらにネゴシアン部門を拡大させ、ポマールの隣ボーヌの町の一角にメゾン・パンジャマン・ルルーを設立したとのこと。ただあいにく2007年の葡萄はいい状態のものがなく、クロ・ド・ヴージョとジュブレ・シャンベルタンからの葡萄の購入は断念し、シャルドネを3万本ほど仕込み、そのリリースを待ちわびているという。


 バンジャマンの終わりなき挑戦は続く。

 というわけで、フロンティア精神旺盛なバンジャマン・ルルー氏の動向に、ますます注目なのである。この蔵で収穫を体験して本当によかったと思いつつ、収穫秘話や収穫に集まる人たちの話などは、別の機会に折りを見て触れられたらと思ったりする。今、偶然にも私のセラーにはクロ・デ・ゼプノーの1992が数本ストックされている。この年から有機栽培が始まったようで、またバンジャマンがパスカル・マルシャンの仕事を時々見ていたであろう時期に重なりつつ、ロブマイヤーがその風景を思い起こさせてくれるだろう。

バンジャマン・ルルー氏

 余談ながら、バンジャマンの兄は、ボーヌの駅の近くでレンタ・サイクルを営んでいる。私はバンジャマンに出会う前から、兄さんのほうと親しくさせていただいていたりする。最近は、自転車でコート・ドールを駆け巡ることも少なくなり、寂しい限りだ。兄さんに、「お勧めドメーヌはどこですか」と聞くと、決まってコント・アルマンと答えてくれた、あの頃がとても懐かしい。


 (文と写真 = にしかた)
 2008年4月9日UP (訪問は4/4)
 無断転用禁止


以上
 


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