カミュ
試飲日 2000年8月1日
場 所    都内某ホテル別館
照 明 白熱灯
種 類 フランス ブルゴーニュ産AOCワイン
生産者 Domaine CAMUS (Gevery Cambertin)
Vintage 1985
テーマ 熟成したシャンベルタンを。
ワイン Chambertin


 ドメーヌ・カミュはブルゴーニュでも指折りの畑所有者である。18ヘクタールもの広大な畑で赤ワインを造っている。しかもグランクリュがそのうちの2/3という(シャンベルタンは1.6ha)。細分化されたブルゴーニュにあっては、特異なドメーヌに数えられる。このドメーヌの露出度は高く、ブルゴーニュを扱った雑誌類には大抵写真付で載っている。黒に金字のエチケットも個性的で、否が応でもワイン愛好家の目にとまる存在である。

 カミュと聞いて首を傾げる御仁は相当のブルゴーニュ通だろう。最近の評判はがた落ちで、その評価たるや聞くに忍びないからだ。ロバート・パーカーJrもその著「ブルゴーニュ」ではこのドメーヌのワインを理解できたためしがないと愚痴をたれているし、近著「PARKER'S WINE BUYER'S GUIDE 5th Edition」では選に漏れ、記述すらなくなっている。安易な雑誌の褒め称える記事とは裏腹に、実情は手厳しい。

 実を言えば、私もカミュをメオ・カミュゼと聞き間違えて、小躍りしながらワインを心待ちにしたが、「ゼ」がないことを知った時の落胆ぶりはかなり大げさだったようだ。合併後のメオ・カミュゼも当時のメオ家もカミュゼ家もシャンベルタンは持っていないのだから、早合点するには知識の無さをさらけ出しているようで、恥の上塗りだった。

 とにかくワインは難しいが、同時に喜びでもある。

 ワイン通の評判だけでワインを選ぶとしたら、今回のシャンベルタンには巡り合えなかっただろう。実際に飲んでみないと分からない。そこが辛くもあり、抜けられない深みの始まりでもある。

 このシャンベルタンはおいしい。きれいに熟成している。シャンベルタン特有の力強さはなくなっているが、ガーネットの色合いと、やさしい熟成香はグラスに鼻を近づけただけで、私をめろめろにさせる。味わいも優雅である。ウォッシュチーズとの取り合わせは、食事を締めくくるには最高だった。

 今飲んでおいしい。15年もの時を経てようやくたどり着いた味わいなのだろう。

 ただ同席の女性が指摘したように、このシャンベルタンを超えるワインはジュブレ・シャンベルタン村にはいくらでもある。格下の1級クラスでも枚挙に暇はない筈だ。

 そこがカミュたる所以かもしれない。上品に仕上がってはいるものの、カミュの限界をも感じざるを得ない。しかし、今、手にしているワインはおいしい。

 目の前のワインを大いに楽しもう。このワインを素直に共感できる喜びは、たとえ他にどんな名醸ワインがあろうとも、ひとしおである。

 1985年は超グレートヴィンテージである。あえて超をつけたのには訳がある。かのチェルノブイリでの原発事故は1986年。プレチェルノブイリの意味は大きい。今日、死の灰を被らないワインは高値である。富豪の多くは決して1986年のワインは口にしない。それが富豪の常識だ。ゆえに1985年は一目置かれる存在なのだ。 

 カミュでなければ高くて飲めない。されどカミュだからこそ、このヴィンテージを堪能できる。カミュはこの年を最後に名醸を造りえなくなったらしい。最近1976年も試飲したが、こちらも大当たりだった。逆に言えば、これ以外は・・・・。

 シャンベルタンは知名度抜群である。その名前だけで楽に商売できる。値段は高さは共通しているが、味のピンきりが激しい。正直カミュは「きり」の部類だが、15年前は確実に「ピン」の末席にいたはずだ。斜陽というか、残念でならない。

 ワイン選びの目安に価格があるが、このシャンベルタンは価格だけでは判断できない。価格も雑誌の情報も判断を誤らせる。ブルゴーニュは造り手で選ぶべしという鉄則が身に沁みる。過去の栄光が今年のワインに反映しない。しかし、その的確な情報を知っていれば、極上のシャンベルタンを味わうことも可能なのだ。

 たとえばこのワインのように。


<おまけ>
今回の試飲はスペシャル企画「懐石料理とブルゴーニュ」の締めくくりの一本としてフォマージュとともにサービスされた。

 一流料理人の懐石料理はそれだけでも贅沢だったが、加えてベストマッチのワインとの取り合わせは経験則を超えた慶びがあった。その時のエピソードはまた別の機会に。

 以上


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