コシュ・デュリーの実力 | |||||||||||||||||||||||
試飲日 2001年8月4日 | |||||||||||||||||||||||
<ブルゴーニュ・ブラン> 今回のワインは特別企画です。昨年に引き続き、都内某所にて懐石料理と銘醸ワインの会に参加させてもらい、そのときサービスされたワインの中でもっとも印象深かったワインについてレポートします。その夜は久しぶりの再会とおいしい料理とすばらしいワインに感激しつつ静かにふけていったのだった。 懐石料理とワインを合わせるのが一時期ブームになったりしたが、世界のコシュ・デュリーのワインと果たして合うのだろうか。大変興味深いテイスティングは、コシュ・デュリーの圧倒的な存在感の前に、「合う」「合わない」という次元で語るには少し立場が違うような気がしてならなかった。ハマチのお造りはそれだけで大変おいしく、某ホテルの実力を堪能できて感激である。活きのいいハマチはプルンプルンの歯ごたえで、この食感はそう味わえるものではない。 今回のコシュデュリーのワインはブルゴーニュである。通常このクラスのワインは2000円前後で購入できるし、ディスカウントストアでは800円程度で買うこともできるスタンダード的なワインである。このドリンキング・レポートに登場する優れた造り手にして、同ランクのワインが5000円の大台を超えることは珍しい。しかし、このコシュデュリーは9000円もする。相場の4倍もするワインであり、ややもすると9000円あれば、同じブルゴーニュでも特級クラスのワインが買えてなおかつ、お釣りももらえそうである。しかも今回は某ホテルでの会食である。見るからに高そうである。なぜにこんなに高いのか。その答えはこの一杯のグラスが物語っていた。飲めば納得である。この至福の為になら、この価格でさえ安いと思える立場にいたいものである。 <味わい> うまいのである。料理と合わせるために通常のテイスティング温度よりもかなり冷やしてサービスされるものの、味わいはコシュデュリー節全開で、格上のムルソーを彷彿とさせる完成された飲み応えである。冷たい温度のため芳醇なアロマはないが、口に含めば奥行きの深さと程よい濃縮感がなんとも上品である。味わいに麦わらを感じ、大変豊かな趣を感じる。たった一杯のワインではあったが、その類稀なる存在感は他者を圧倒し、懐石料理が目の前にあるものの、視界から消し去るインパクトを堪能させてくれた。 うまい。飲み干した後にINAOグラスにいつまでも残る甘い燻し香は、このワインの熟成後の姿を想像させ、常温で戴く時の味わいの面影を残していてくれていた。 大変ありがたいことに最近コシュデュリーのワインに出会うチャンスが多く、感激の夜はいつまでも続いている。前回はコントラフォンに囲まれ、その立場を危うくしたが、ACブルゴーニュにしてこれほどの感動を堪能させてくれるとは、ただただ脱帽である。コシュデュリーはランクを超え、ビンテージも越える。高いワインには違いないが、その味わいを共有するとき、コシュデュリーに出会えた悦びに包まれる。「高い」にはそれ相応の理由があるのだ。 コシュデュリーのすばらしさはその味わいもさることながら、食卓に笑顔と感動を誘う力にこそある。リッチであり、官能的であり、食卓を囲む人々の頬には自然に笑みがこぼれる。程よいアルコール度数も手伝って、緊張感を伴う懐石料理でさえ、少しばかり気を緩めさせ、場を和ませる。これはワインの存在感に寄与するところが大きいだろう。すばらしいワインだからこそ、会話も弾み、同席者の悦びに満ちた笑顔は食卓を大いに盛り上げる。楽しい食卓は、ご飯もお酒もよりおいしくなる。ビールやお銚子にもそれぞれの楽しみ方があるが、コシュデュリーで楽しむ夕べもまた格別である。コシュデュリーでしか共有できない夜があるとするならば、そんな夜をいくつ創り出せるかもありふれた日常生活の糧になると信じて止まない。すごいワインを共有したい。そんな思いにかられたりするこの頃である。 以上 |