シャトー・ムートン・ロートシルト | ||||||||||||||||||||||
試飲日 2000年10月9日 | ||||||||||||||||||||||
<味の印象> 開けた瞬間は果実香がある。そして徐々に熟成香へと移っていく。色はかすれたガーネット。ボルドーグラスに最も似合う色合いである。エッジには透明感もあり27年の時を経て土に戻りつつある印象を受けた。やわらかな渋みはタンニンであり、うまみ成分も堪能できる。うまい。かすかな力を振り絞って私を喜ばせようとしてくれている。年老いてもなお、健気に振る舞うそのやさしさに、今は亡き祖父の笑顔が思い出された。 ボルドーは春先のシャトー・デュクリュボーカイユ1981年(熟成したボルドーは確かにうまい)、昨年末のシャトー・マルゴー1986年(パンチの効いたインパクトと、濃くって強くってミルク香と共に歯茎を刺激する味はさすがである。パーカーが100店満点をつけた理由がわかる一杯である)以来である。両者が古く鄙びた感じ。ボルドーとしての面影を残しつつ、死に行く味わいに時の重みを感じながらのテイスティングであった。 関係各位に大感謝である。 <意味合い> このワインは背景がありすぎる。ワインを堪能することよりもワインの歴史を物語るワインとしての重圧を意識せざるを得ない。冷静な判断など決して出来ないのだ。シャトー・ムートン・ロートシルトが一級に昇格した逸話はワイン愛好家には最も有名な話であり、ワイン関係の本には必ず出てくるので、ここでは省略する。 このワインの前評判は正直良くない。ワインよりもエチケットに価値があり、かのパーカーの得点は最低に近い65点の評価である。1982年の試飲時点ですでに飲み頃を過ぎていると酷評している。しかもパーカーの酷評から18年も経っているのだ。開ける前から心配にならざるを得ない。ただそんな言うほどまずくはなく、確かに飲み頃は過ぎてはいるが、これはこれで充分感激に値する。それはもちろんワインとしてである。 ただパーカーのようにボルドーを飲み尽くせない庶民としては、この記念碑的ワインは持ちたいワインでもあり、ワインである以上飲みたいワインであることも事実ではある。 <1973年> 1973年は天才ピカソが他界した年であり、100年以上厳として変わらなかったメドックの格付けが唯一変更された年である。誰もが知るビンテージであるが葡萄の出来はよくなかった。豊作だったが収穫の直前に降った雨が葡萄を水ぶくれにし、若い頃はおいしくいただけるが、熟成には向かないというのが一般的な意見だ。 <バロン・フィリップのコメント> PREMIER JE SUIS, SECOND JE FUS MOUTON NE CHANGE 直訳すれば、私は一級である。かつて二級だった。ムートンは変らない。 この一言をエチケットに刻んだ男爵の悦びが、ひしひしと伝わってくる。 <ボルドーについて> ボルドーについては拙著ボルドーワインと男と女に詳しいので、アクセスしてみてね。 以上 |