フィリップ・パカレ
試飲日 2004年05月27日
場 所    神奈川県某所
照 明 不明
種 類 フランス ブルゴーニュ地方AOC赤ワイン
生産者 Philippe PACALET (Gevrey-Chambertin)
Vintage 2002
テーマ パカレ検証
ワイン Pommard

<ポマール>

 抜栓後すぐリーデル・ブルゴーニュグラスへ。室温推定17℃。某氏をはじめとする四人のテイスターにより、ひとつのグラスへ注ぎ足し注ぎ足しでほぼ一本分を時間をかけて飲み進め、試飲時間約3時間だった。今回は、デカンタなり事前抜栓をせずに、抜栓直後からのパカレのワインを検証しようという企画で、このポマール以外にも数本のワインを試飲しつつ、穏やかな夜は暮れていったのだった。

 今回の貴重な経験を踏まえ、思うことがある。それは2002年ビンテージを2004年の五月下旬にクーラーの効いた部屋で飲むに当たっての感想であるが、抜栓直後のパカレをして、いきなり「うまい」と評価する人は、先見性のある味覚の天才か、パカレのワインは最初にうまいと発音しなければならないと思っている人か、商売本意でパカレを扱っている人か、味覚音痴の人かのいずれかに該当するのではないだろうか、ということだ。

 確かにパカレは抜栓直後からうまい、のであるが、それはうまいというカテゴリーの範囲の中で最下層にある類のもので、すばらしい酒質は認めるものの、これが本当に美味しいワインなのかの判断は困難を極めると思ったりする。これを持って絶賛する人の言葉を私は信じることが出来そうにないのだ。

 パカレの2002年のポマールを、一言で表現するならば、いわゆる「閉じた状態」なのだが、ただ単に言い訳がましく「閉じている」と逃げのコメントを発するほどには、話は単純ではない。誤解を覚悟で例えるならば、抜栓直後のパカレは銀座の名店で購入した折り紙を幾重にも丁寧に折りたたんだかのごとくの味わいで、上品な紙質に裏付けられた折り紙の美を認識するものの、折り目が一つ一つ開かれた時に、それが鶴になるのか、象になるのか、モグラになるのか、てんで見当が付かず、その最終の姿に到達するのに何年、何十年間の歳月を要するのかさえ見当も付かないほどの戸惑いを覚えさせてくる。

 抜栓直後のポマールは、男性的な、と比喩されるポマールとは思えないほどの軽やかさを持っており、還元的な香りと共に、薄いお出汁系の味わいはパカレ節を彷彿させるものの、余韻はぶつ切り状態に途切れ途切れで、これをもって美味しいとは表現できないのである。

 ここはやはり「時間」を待つことが必要なのだろう。一般的にブルゴーニュワインは時間と共に味わいのニュアンスを変え、この変化が楽しみの一つなのだが、パカレのワインは、驚異的なことであるが、5分ごとにその味わいを変えてくる。さっきまでの味や香りが予想外にガラリと変わってしまうので、飲み手は戸惑いこそ知れ、完全にコントロールを失ったパイロットのごとく迷走するのだ。今までの経験を総動員して、変貌の想像を考えても、従来型の放物線的変化とは縁もなさそうで、うまみの広がりを「線」で表現することが出来ない。どうしたらいいのだろう。どうなってしまうのだろう。

 まさに神出鬼没、変幻自在の様相を呈しているので、飲み手はただただそれに振り回されていく。あるときは甘く熟した果実味を、またあるときは、水っぽい薄さ加減を、またあるときは十分な潜在能力があることだけを露呈してくる・・・。とても不可解なまま、いたずらに時間は流れ、そしてパカレのポマールは美味しいことは美味しいのだが、今飲んでも決して溜息系の美味しさとは程遠く、今飲むべきワインではないと、頭をひねり続けたりする。

 試行錯誤の試飲は続く。その間グラスはむやみに回さない。基本中の基本である。そしてもちろん時間を経てパカレは確かにうまくなってきた。しかし、それは「ただうまいだけ」で、官能的な喜び宇宙観とは無縁の美味しさに留まっている。そして不覚にも、いつのころからかポマールに対する集中力が欠けはじめ、話題が得意の鮨談義に移ってしまったころ、一人鮨談義の輪に加わらず、ポマールに集中していた某氏から、自身が崩れ落ちるほどの歓喜の声があがったのだった。

 「これだ」

 某氏がグラスを差し出し、一口含んでみる。そこには正真正銘のポマールというワインが、極めてエレガントに存在していたのだった。このパカレのポマール2002をして、どう官能的であるかを表現することは困難だ。私に出来ることは某氏より受け取ったグラスを、次の誰かに渡すことぐらいしか出来ない。

 抜栓してからかれこれ三時間が経過し、注ぎ足し注ぎ足しで注いだボトルには、あと一杯分のワインしか残っていなかった。しかし、ここにはパカレを大絶賛しなければならないほどの感動がある。ここに来てようやく「パカレ恐るべし」と発言したい衝動は別段抑える必要もなく、鳥肌が立つ全身を摩りながら、パカレへの熱き思いが体外へ放出されるのであった。

 巷ではパカレをして癒し系と表現されるが、今回の経験では、ちっとも癒されず、全くもって頭と体力を使わされ、へとへとになりながら最後の一杯をいとおしく飲み込む様は、ちょっとない経験だったかもしれない。

 パカレ恐るべし。


以上
 


目次へ    HOME

Copyright (C) 2004 Yuji Nishikata All Rights Reserved.