コス・デストゥルネル | |||||||||||||||||||||||
試飲日 2001年3月3日 | |||||||||||||||||||||||
<はじめに> まずは今回のボルドー地方・サン=テステフ村 メドック格付け第二級シャトー・コス・デストゥルネルの垂直テイスティングにあたり関係各位に感謝申し上げます。ワイン関係の特集記事でボルドーの垂直テイスティングの記事を見かけることは多いが、まさか自分が体験できるとは、まさに夢心地である。とくに1982年というボルドーを代表するグレート・ビンテージを含む5本ものコス・デストゥルネルに出会えるとは感激の極みであり、今もなお無上の喜びに包まれている。ブルゴーニュ中心のにしかたゆうじドリンキング・レポートではボルドーは二回目であるが、ロバート・パーカーJrの著書(パーカーズポイントをPPと省略し、AOCの評価は☆の数で表示する。☆☆☆☆☆が最高評価)と比較しながらレポートしてみよう。なおポイント等はボルドー第3版1999年2月10日第1刷発行を参照した。ただしご多分に漏れずテイスティングではなく、ドリンキングしてしまったので、詳細については胸の奥底に秘めることを侘びなければならず、さらにパイヤールのロゼシャンパンなどを飲みながら小柱御飯をいただいておなか一杯であるために、相当抽象的な表現が多く登場することもお詫びしたい。 <1981> PP=83 サンテステフ ★★ <1978> PP=85 サンテステフ ★★ <1989> PP=88 サンテステフ ★★★ <1985> PP=93 サンテステフ ★★★★ <1982> PP=96 サンテステフ ★★★★★ <1981> ボルドーが熟成し、散り際の奥深さがある。深みのあるやさしいガーネットの色合いはこれぞ熟成したボルドーである。やはりボルドーは20年もの時を経てこそ飲み頃なのだろう。やや盛りを過ぎた感じを否めないが、この丸みのあるやさしい味わいは感激である。熟した果実が静かに土に返るような印象。 <1978> 基本的な印象は1981と同一。事前の情報に寄れば1981よりも点数はいいが、ここ数年でその評価は逆転しているようだ。やさしさに力強さを持ち合わせ、茶色味がかった熟成色がより一層このワインを引き立てる。静かにおいしい。 <1989> より強い。角が立つようなキツさを持ちながら、より深くより厚みのある味わい。サービスされた直後はデカンタしたとはいえ青っぽさを感じるが、時の経過とともに角がとれ丸みを帯びていく。ぐいぐい引っ張る感じ。いい。ボルドーの力強さを彷彿させる。 <1985> これは偉大である。土壌香の中にコーヒーを感じ、あたかもジャイエ・ジルが醸造したかのような味わい深い。ブルゴーニュ・ヴォーヌ・ロマネの特級クラスには細胞を整列させる偉大なパワーが漲るが、このコス・デストゥルネルは細胞を彷徨わせる。行き場のない細胞がテイスティングルームを漂い、その不思議な感覚は酔いとともに非常に心地よい。 大変おいしい。しばし言葉を失う。この時点での最高評価。また1982を飲んだ後でさえ、香だけの評価ならこのワインに一票を投じるだろう。 <1982> 1982年というヴィンテージが何故これほどまでに賞賛されるのか、その答えがこのワインの中にある。偉大である。前4本とは全く別次元の威力がある。1985年で揺さぶられた細胞の行き場は、より激しく拡散され、より激しく動揺された。うまみ成分が、漂う我が細胞と結合し、なんだかとてつもない場所を探し出してしまった。そこは始めての場所である。ボルドーの偉大なヴィンテージを語れるほど、私はボルドーを飲んでいない。しかし1990のシャトー・ムートン・ロートシルトを引き合いに出せばその偉大さに違いがあることが分かる。ムートンを例えるならば、純粋まっすぐ君がガブリ寄って来るような逃げ場のない圧倒的なパワーだろう。少し高めの温度設定ならば1991というオフビンテージでもその片鱗は大いに感じ得る。しかし、このコス・デストゥルネルはそんな琴風のような一直線的な力強さは持ち合わせていない。一直線ではないが、あの手この手を用いて多方向から忍び寄ってくる凄みがある。やさしく、やさしく土俵際に追い込まれ、何の抵抗もなく土俵を割る。これもまた夢心地である。ワインの包容力に、素直に身を任せるのみである。極上の肉が口の中でとろけるようなふくよかさである。 この違いは葡萄品種によるところが多そうだ。ムートンが第一級シャトーの中でも一際カベルネ・ソーヴィニォンの割合が多いのに対し、スーパーセカンドたるコス・デストゥルネルはメルローの割合が高い。40%にも及ぶブレンド比率こそコス・デストゥルネルの存在感だろう。メドック地方ポイヤック村に接し、シャトー・ラフィット・ロートシルトを見下ろす丘にこのシャトーは畑と館を構えている。わずかな差がワインの大きな差となって現れる。これぞテロワールであり、これぞセパージュである。そして1982年というヴィンテージの為せる技である。感激であり、大感謝である。 <まとめ> ちっともテイスティングコメントになっていないとお嘆きの貴兄には素直に謝ることとして、今回の5本のワインには共通する味わいがあった。一言でそれを表現すれば「ここに並ぶワインはすべてシャトー・コス・デストゥルネルである」ということだ。熟成の度合や濃縮感の違いこそあれ、湿った土壌香を基本にしつつ、ふくよかなコーヒーをも持ち合わせているからだ。そしてボルドーを飲むとき、ヴィンテージとパーカーの評価が大いに参考になる。パーカーがつけた得点は確かにその点通りの味がした。 年に数回、たまらなくボルドーが飲みたくなる夜がある。そんな夜にはロバート・パーカーの情報が役に立つ。ブルゴーニュの評価には時々首を傾げることもあるが、ことボルドーに関しては彼の評価が食卓の参考になる。それはもちろんお金があって、そんなシチュエーションを創り出せる力量があってこそだが・・・。 偉大な年の飲み頃のヴィンテージを飲む機会はもうないかもしれない。多分ない。今回のワインは、それぞれがとてつもなく偉大なワインである。一本だけ飲むならば、ただおいしいだけで終わってしまう。しかし、5本も並べて飲むとそれぞれの差が大いにその場を盛り上げ、その印象は心に刻まれる。それなのに何故その味わいの差を言葉として伝えられないのだろう。地団駄を踏むと同時に、思い出し笑いがしばらくは続きそうである。 写真は試飲時には持ち合わせていなかったが、ご好意により1982年の空き瓶をいただいたので、感謝を込めてここに掲載させていただく。 以上 |