ロベール・グロフィエ | |||||||||||||||||||||||
試飲日 2005年11月23日 | |||||||||||||||||||||||
<グロフィエの2003> 抜栓後ブショネチェックのあと、デカンタをして1時間半ほど待ち、INAOグラスへ。それぞれのワインについては20分ほどの間隔を保ちながら順繰りにサービスした。(セミナー参加者には、基本的にはロブマイヤーに・・・) 今回は一級レ・オードワを除くグロフィエのフルラインナップを2003年で楽しんだが、総括すると、グロフィエの2003年の世界は、太陽系の衛星順になぞることができるだろう。それはつまり、水金地火木土天海冥。飲み手を地球に例えると、ブルゴーニュ・ルージュは太陽に最も近くを回る水星のごとくで、小さいながらもコンパクトな味わいを醸しだしていて、このワインの延長線上にすべてのワインをイメージすることができる。ジュブレ・シャンベルタンは、地球に近いがまだ内側を軌道する金星のようで、そのスケール感は飲み手より小さい。 そしてシャンボール1級のサンティエは、飲み手よりも一回り大きい火星のようであり、ミネラルと情報量に勝るレザムルーズは、さらに遠くの木星をイメージしたりする。特級ボンヌ・マールは、リングをもつ土星のイメージを持ちつつも、2003年という例外な年にあって、グロフィエはボンヌ・マールを造ろうとした意志をワインに感じることができ、この意図的な味わいは賛否を分けつつ、一級と特級の差の存在を認識したりする。そして特級クロドベズは天王星か冥王星的なイメージを持つ。地球よりはるか彼方の同心円の太陽系のスケール感を意識させてくれるからだ。 同じ特級でもボンヌ・マールとクロ・ド・ベズには歴然とした差があり、それは例えて言うならば、ボンヌ・マールがシャンボール・ミュジニ村を代表するのに対し、クロ・ド・ベズは、ブルゴーニュを代表するほどの差とでも言えようか。 こうして並べて飲むと、グロフィエ節が見えてくる。これらのワインに得点標記をしようとしても、結局は、その結果はアペラシオンの格付順にとどまざるを得ず、得点による要約よりも、そのアペラシオンごとの斜面や風景の違いを楽しんだほうが、その明確な味わいの差を楽しみやすいと思ったりする。サンティエと、レザムルーズの違いは何か。レザムルーズとボンヌ・マールの違いは何か。2003年の異例とも言える濃い色合いの中に、そんな風の様なものを感じられたら、ブルゴーニュの虜である。そして2003年は今とてもおいしいのである。 また今回は、レザムルーズを二本用意し、デカンタの必要性についての検証も行った。方やデカンタをして2時間待ち、方やボトルから直接というもので、同じワインということで共通の味わいを意識するが、その表現方法が明らかに異なり、前半部をはしょったデカンタバージョンの奥行き感と、そのままサービスした方の瞬間的に変わり行く味わいの変化を楽しみつつ、それは飲み手の好みにも委ねられそうだが、デカンタをしなければ到達できない領域があることを痛感すると共に、抜栓直後の還元的な不快感にも繋がる第一印象は、個人的にもデカンタの必要性を感じ入る。そのままサービスのほうは、巨大画面ではあるがあくまで二次元的で、デカンタバージョンは、画面的には小さくなりつつ、三次元的な構造を楽しむことが出来るからだ。これをレザムルーズで確かめてしまうところに、粋を感じたりしつつ(自分で言うなではあるが・・・)、ちょっとした贅沢もまたよしである。 そしてロブマイヤーのバレリーナであるが、このグラスは2003年のブルゴーニュを味わう上で、必須と思われる。吸い込まれるようなブルゴーニュの魅力を誘ってくれるからだが、このグラスをしてブルゴーニュのヒエラルキーの妙を、それはこのブルゴーニュの斜面を開墾した修道士たちの正当性を裏付けつつ、楽しむ秋の夕べなのである。 最後にクロドベズの残り香に、さくらんぼのような甘い香を感じることができ、2003年のほんの少しの残糖感が、それを誘っているのだとすれば、この年はアペラシオンの差よりもビンテージの個性に重きを置いた楽しみ方が、食卓を彩りそうだと思いつつ、何でこんなに高価格なんだと嘆くのだった・・・。 末筆ながら、某氏に差し入れしていただいたドゥー・モンティーユの2003ムルソー・ルージョの香ばしい黄金系な味わいも、美味でした。まさにムルソーチックな表現力に脱帽かも。 おしまい |