マルキ・ダンジェルビーユ | |||||||||||||||||||||||
試飲日 2006年03月04日 | |||||||||||||||||||||||
<ヴォルネイ1級フレミエ> ワインセミナーにて。抜栓後すぐにINAOグラスへ。薄めのルビー色は、やや枯れたニュアンスを持っている。香には力はなく、いわゆる閉じている状態で、うっすらと赤系果実と鰹節に感じられる血あい系のニュアンスが漂っている。口に含めば、薄いという第一印象。果実味よりもそれより圧倒的な比率を占める水分の存在を感じ、いやがおうにもコンパクトな味わいは否めなかったりする。しかし、飲み込んだ後のうまみの戻り具合は、なかなかで、そう長くはないが、しっかりとした余韻にヴォルネイの品を感じたりする。 このワインは説明が要る。単純にブラインドでワインを確認するだけならば、それほど印象にも残らず、誰かが点数をつけようものなら低得点に甘んじることは想像の範囲だ。しかし、このワインの情報を知りうるならば、それは全く違った味わいが感じられ、私は密かにワインの悲しみを感じたりする。 2001年8月2日。ヴォルネイの、このフレミエの斜面一体は突然の雹に襲われ、ぶどうの木と実は甚大な被害に見舞われた。収穫量は例年の半分以下、場所によってはもっとひどく、1/3-1/4程度まで落ち込んだという。今回のワインは、そんな被害を受けつつもなんとかワインとして世に出ることになった逸品で、時に残酷な天候の試練を受けながらも、こうして食卓を彩ることになったワインなのである。 グラスを翳せば、薄い色合いの向こうに、8月2日以降の斜面が見える。自然の悪戯に天を見上げる農夫の姿や、それでも挫けずワイン造りを全うしたヴィニュロンたちのエスプリが、こうしてワインから感じられる時、農作物というワインの側面を感じ入り、そしてそれは数値化できないワインの違った一面なんだと気づかされる。 この味わいは、後に飲む同じビンテージのシャンボール・ミュジニのワインたちの陰に隠れて、ひっそりとした印象を残しつつも、実は私の心の奥にそっと漂い続けていたりする。ワインの向こう側が見えると、その味わいは不思議と変化するから、そこにワインの魅力を感じる。情に流されてはいけないながらも、ときにそんな情が私の心をノックするのだった。その情報は、共有したほうが、いいと思うこの頃だったりする。 セミナーではロブマイヤーグラスで楽しんでもらいつつ、夜は暮れていった。 おしまい | |||||||||||||||||||||||