金井一郎
試飲日 2006年06月17日など
場 所    都内某所
照 明 白熱灯
種 類 日本 山梨県ワイン
生産者 金井一郎 (金井醸造場)
Vintage 2005
テーマ 日本ワインの朝焼け
ワイン 万力甲州 朝焼 (まんりきこうしゅう あさやけ)
<万力甲州 朝焼 金井武・画 バージョン (店頭販売分)>

 このワインの発売日当日、山梨県某所のある酒屋さんは、私にこんなことを言っていた。「このワインは地元では売れない。しかし県外では売れるだろう。」

 私は彼の言葉に理由も聞かずに納得し、そしてどうやらその言葉どおりの展開になっている。生産本数はわずかに280本ながら、発売初日にして早くも完売。売り先は、東京、神奈川、静岡、栃木・・・。地元山梨よりも、他都県での評価の高さが、このワインの最大の特徴である。

 それは、なぜなのか。それは、このワインが今までになかった甲州ワインからだ。甲州ワインといえば、地元衆の「お酒」として広く親しまれ、それは甘口から辛口までいくつものバリエーションはあるものの、決まって白ワインだった。甲州種からは白ワインが造られる。そんな既成概念は、古くから甲州を飲み続けている地元衆のみならず、若手醸造家たちにも、そして県外の甲州ワイン愛好家にも浸透しているように思える。

 地元は、このワインを甲州ワインとして認めるだろうか。地元の人たちと話をするにつけ、疑問符は大きくなるばかりだ。甲州ワインとして認識しようとすると、その強烈な個性ゆえに相当な違和感を持ち、甲州を知る人には容易に受け入れざる要素を持ちすぎているからだ。しかし、甲州についての概念を持たない人にとっては、日本で作られる自然のワインという印象が真っ先に飛び込んでくるワイン。昨今の自然派ワインブームに絡み、このワインは話題に事欠かない。だから県外で売れる。地元が躊躇している間に・・・。

 そもそも山梨県のワイナリーは、この甲州ワインについての見解は二つに分かれ、それは甲州尊重派と甲州断念派に分類できる。日本固有の葡萄品種で上質なワイン造りを目指すグループと、完熟しても糖度が上がらず、補糖なければワインとして製品化できない甲州に見切りをつけて、ヨーロッパ系品種で勝負しようとするグループである。

 山梨県山梨市万力(まんりき)に拠点を構える金井一郎は、たった一人でワイナリーを経営し、そして地元の葡萄「甲州」の可能性を信じているワインメーカーである。数年前より低農薬農法を実践し、最近ではビオディナミ農法や天然酵母による発酵に取り組んでおり、その姿勢は、海外の著名なビオディナミストも注目し、ニコラ・ジョリーやマルク・アンジェリも万力の畑を訪問し、その現場を共有している。

 甲州を愛し、独自のメスを入れる金井一郎は、万力シリーズ三部作の二年目に、自園の甲州に「醸し」を導入し、ロゼ色のワインを造り上げた。一年目の万力甲州は、自然派の流れを汲んだ、デブルバージュ(澱引き)なしの天然酵母による発酵というスタイルをとり、二年目の2005年は、「甲州の全てを知りたい」という思いから、ロゼ色のワイン造りを決断させた。そして三年目の2006年。その三部作の最後を飾る思いは、すでに金井一郎の頭の中に描かれているが、ここで紹介するのは時期尚早なので、来年のこの時期を、そっと待ちわびたいと思う。

 ただの思い付きではない、三年越しの甲州プロジェクト。たった一人のワイン造りだからこそ、自分の理想をワインに写すことが出来る。サラリーマン系醸造家では、決してなすことが出来ない、(上司や株主を説得できない)、一見自由気ままな発想は、失敗すれば売り上げなしの恐怖を背負いつつ、それでも夢の実現のために金井一郎は邁進してしまった。グラスの中で朝焼色したワインが、輝いている。

 金井一郎は、このワインにどんな思いを寄せているのだろう。それは、酒販店への販売用とは区別された店頭販売用に貼られたラベルに、その思いを読み取ることが出来る。その昔、偶然にも、今は亡き祖父・金井武が、万力から望む御坂峠の朝焼を描いおり、金井一郎は、それをそのままワインの名を絵に入れることなくラベルに仕上げた。祖父が見た万力からの朝焼の風景を、孫がワインとして表現する。万力の斜面と、朝焼けの風景がグラスに移る瞬間、鳥肌のひとつも立たずに、このワインは飲めないのかもしれない。

 朝焼の絵を見つめるほどに、私の涙腺は緩む。ワインは時として、時空を越える。この「万力甲州 朝焼2005」もまた、祖父と同じ風景を見つめる孫の姿に重なって、そしてその造られたワインは、次の世代に引き継がれるパワーを持っているからだ。人の一生よりも長いワインの生命力。それもまたワインの醍醐味。

 果たしてこのワインは、どんな味わいなのだろう。甘いキャンディのような香りを持ちながら、味わいはきわめてドライで、鋭い酸味が特徴的な不思議な味わいというのが一般的なコメントになるだろう。冒頭の主は、強烈な酸に果実味や他の要素がぶら下がっていると表現したが、なるほどそんな味わい表現に共感するが、しかし飲み込んだあとの心地よい余韻は、自然派ワインに慣れるにつれて、きわめて自然な印象を持つのだった。「すっぱいけど、濁っているけど、ロゼともいえない変な色だけど、変な香りもあるみたいだけど、なんだかおいしいね。」

 飲みながら自然と笑みがこぼれるおいしいワイン。そしてラベルを見つめるほどに、泣けてくる。こんなワインが日本に存在することを、少しばかり誇らしげに思いながら、ワインはいつもよりも早いピッチで、空になっていく・・。

 個人的に、このワインは鱧と合わせたい。うまそうだ。


おしまい

 


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